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2016.07.18
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カテゴリ:古代ギリシア
先日、トュキュディデス『戦史』を読み終えました!上巻・中巻・下巻の三部構成で、原文だけではなく注釈も膨大だったため、極めて長大な書物でした。読み始めたのが五月頃でしたので、読破まで二か月ほど掛かったことになります。

同書は、古代ギリシア時代におけるペロポネソス戦争(スパルタ率いるペロポネソス同盟軍と、アテーナイ率いるデロス同盟軍の大戦争)を主題とした歴史書です。「歴史の父」と言えば、ペルシア戦争を中心に著したヘロドトスが真っ先に思い浮かびますが(実際には、ギリシア初の歴史家はヘロドトスではなくヘカタイオスでしたが)、トュキュディデスは実証的な歴史を書いた人類史上初の歴史家として有名です。つまり、彼は史料批判を行い、信憑性が高いと判断された「事実」のみを『戦史』に記述したのです。神話やお伽話の類が歴史として記録されているヘロドトスを考慮すれば、その革新性はまさに「歴史界のスティーブ・ジョブス」と言えるでしょう。真実を追い求めるトュキュディデスの精神は、今日の歴史家にも引き継がれています。(だからといって、ヘロドトスが凄くない、というわけではありません。ヘロドトスの功績は、ペルシア戦争という偉大な勝利を記録したことに加え、「文化人類学」の先駆けとも考えられる異民族に関する生活様式・文化・地理などの詳細な記述です)

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このように、『戦史』は実証的に記述された世界で初めての歴史書なのですが、実証的であるが故に、非常に複雑な構成になっています。トュキュディデスはその年の夏・冬ごとに各地の物事を横断的に記述しており、したがってストーリーはブツ切りになっています。少し気を抜くと「あれ?あそこの情勢はどうだったっけ?」「ん?ここはこういう情勢になってたっけ?」と頭が混乱してしまうんですよね笑 各地のストーリーごとに記載されているヘロドトスとは違って、理解が大変な小難しい書物になってしまっているのです。その複雑さは、「トュキュディデスの『戦史』は音読で読むにはあまりにも難しすぎるから」という理由で、古代ギリシアに黙読文化が根付いていたと考える学者がいるほどです。

母校の古代ギリシア史教授も「トュキュディデスはつまらないことで有名」と語っていました。私は史学部ではなく、ゼミも現代アート関連でしたので、その教授と密接な関わりはないのですが、この評価には概ね同意できます。ヘロドトスと比べれば、トュキュディデスは「つまらない」と言えます。
しかし、それはあくまでも相対的評価に限って言えば、です。確かに、複雑な部分もあって理解に苦しんだこともありましたが、絶対評価で言えば、トュキュディデスの『戦史』は極めて面白かったです!

ギリシア世界が二分されるほどの大戦は、如何にして起こったのか。極限状態の下で、民主制はどのように機能するのか。あるイデオロギーの下で、人はどれほど残酷になれるのか。この『戦史』を読めば、全てが分かります。その描写は実証的であるが故に淡々としていますが、非常に生々しく、戦争の混乱ぶり、思想と思想の激突を克明かつダイナミックに表現することに成功しています。
トュキュディデスは作中にて「やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかつての如き、つまりそれと相似た過程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見凝めようとするとき、私の歴史に価値を認めてくれれば充分であろう」と語っていますが、まさにその通りで、『戦史』の追及した「真実」は、古代ギリシア時代に限定されない普遍性を有しています。まして、現代は民主制が主流の世界です。規模は違えど、『戦史』の普遍性は現代にまで脈々と受け継がれていると言えます。

その例をひとつ挙げるとするならば、ミュティレネに対するアテーナイ人の決議の混乱ぶりが、EUから離脱してしまったイギリスの混乱ぶりと重なったことでしょう。
ミュティレネはレスボス島にあるポリスで、デロス同盟の傘下にありましたが、アテーナイの支配を嫌って反乱を起こしました。最終的にアテーナイによって鎮圧されるのですが、アテーナイ人たちの怒りは凄まじく、ミュティレネに住んでいる全男性は死刑、女・子供は奴隷にするという苛烈な処置を民会によって決議します。しかし、後になって「その処罰は厳しすぎたのではないか・・・」とアテーナイ人たちは後悔し始め、再び民会を招集することに。議論の結果、以前の決議は撤回され、結局はより軟化した決議(首謀者のみ処刑、軍船・城壁の撤去、一部の耕作地の全収益をアクロポリスに奉納する義務、他の耕作地をアテーナイ人地主に分け与える、など)になりました。
ここに、直接民主制の愚かさが垣間見えます。一度多数決で決めたことを後悔し、やり直そうとする様は、国民投票(アテーナイの民会のように、直接民主制で多数決)で決めたEU離脱に対して後悔し、投票をやり直そうとするイギリス人たちと類似しています。両方の根底にあるものは、怒り、すなわち「感情」です。直接民主制は、理性無き一時の感情によって政治を決めてしまうところに恐ろしさが隠されており、それは現代においても同様なのです。

上記以外でも、デマゴーグとポピュリズム(大衆感情を利用して人気取りに躍起になる政治家たち。アメリカのトランプ氏など)の類似性など、『戦史』が現代にも通じる普遍性を発揮する場面は多々あります。だからこそ、私は同書に魅力を感じ、疲れ切った仕事終わりであっても夢中になって読み進めることができたのです。


残念ながら、『戦史』は未完であり、ペロポネソス戦争が終結する前に終わってしまいます。トュキュディデスがなぜ突然筆を執らなくなってしまったのかは、未だに不明です。続きが非常に気になるので、『戦史』後のペロポネソス戦争が記録されているクセノポン『ギリシア史』も、いずれ読んでみようかと思います!





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Last updated  2016.07.18 20:17:27
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