ヌード
夢に見たこと。小さい時に僕は何になりたかったのだろう?一番覚えているのは「お医者さん」理由:近所のおばちゃんや、親に「金持ちになれるから、元気の頭のよさならいける」っていわれたから。病気を治すってことまではわかっていた。でも、どうやってかは知らなかった。お金もちになるってこともよくわかっていなかった。喜んでくれる。認めてくれる。そこにあった夢はただそれだけだったかもしれない。そう感じた時に、はたして自分は心の内からこれになりたいと思ったことはあるのだろうか?日本人ならでは、幸福であるがゆえの悩み。日々の生活が苦しく、弾がバンバン飛び回るような中で自分らしく!なんて言っていられるのか?幸福であるがゆえの悩みなんて、、、それでも、自分にかできないことを知りたいと願うのは許されるんでしょうか?なんか、えらく重苦しい感じな気がしてきました。関係ないと思います。許してもらうも何も?誰に~って感じです。今、自分がこうして生きていることがある。幸福かどうかは別として、こうして悩んでいる。認めてほしい。ほめてほしい。すごいねって言われたい。そんな俗物であるんです^^Vそして、そんなことが起こった時に自分の力を惜しみなく使うんです。もちろん、お金もほしい。でもね、俺はきっと、金よりも森元気を認め、許し、使ってくれる人がいると力を発揮します。それが、森元気がする、世界への貢献だとおもいます。いくつも、服を重ね着していくだびに、体が重く、動きは鈍く、なっていたかも。いつしか、どれが自分の着たかった服かも忘れて。一度裸になってみてもらうと、どんな服を着ていてもはずかしないよ。たぶん。イッパイいる。たくさん服来て、強がって、粋がって、そんな自分とはさよならです。裸で、胸張って、変態って言われながらも、それが心地よくなるまで自然体でいると素でいられるのかもね?ただ、オススメはしません。服脱ぐことがいいことなわけじゃない。蚊にさされるよ?そこらへんのはっぱで体を傷つけるかも?一気に世界が危険でいっぱいになる。でも、「裸の付き合い」はすごく何かを結びつけるんだよね~。ほしかったものがそこいあるんだよね。らぞくにちょうせん。だれか、いっしょにやりません?(笑)