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カテゴリ:学び
「自社の強みを活かした経営」その1
たこ満 平松 季哲様 講演録 主催: 日創研福山経営研究会 日時:2007年8月20日 19:20~21:00 場所:福山ニューキャッスルホテル 講師プロフィール: 法人名「株式会社多古満」、商号「たこ満」 昭和27年9月3日生まれ 郷土銘菓・和菓子・洋菓子の開発、製造、販売事業、お菓子教室事業 ◆設立 昭和52年4月 ◆資本金 資本金5000万円 ◆代表者 代表取締役 平松 季哲 ◆売上高 22億6000万円(平成17年6月) ◆従業員 330人(男45人 女285人) ◆事業所 遠州各地に直営店16店舗・FC店1店舗 こんばんは、創業28年です。私は2代目です。長男ですが、上は姉です。だから、 生まれた時から、継ぐのが当たり前だと思っていました。父が40歳の時の子です。 (1) 創業の精神と顧客満足への願い ☆ 創業の精神 当店の先代店主の少年時代、昭和の初め、まだ満足な食べ物もなかった頃、東京へお菓子の修業に行きました。その日の夕食に蛸酢が出され、そのおいしさに感激し、「自分も菓子屋として一生を賭けるなら、この蛸酢(タコス)のおいしさに負けないくらいおいしいお菓子を作り、多くのお客様の心を豊かに満たしたい。」と心に決めました。この初心を忘れることなく、たこの味で心を満たすということで店名を「たこ満」と命名し創業しました。 ☆ 経営計画書 9期からずっと作っています。ただいま32期になります。いまは、社員が作っています。 立派な計画書にしていた時期もありますが、いまは安くても効果が上がるようにと思って作っています。 (2) 日本創造教育研究所との出会いと人生ビジョン ☆ 青年会議所 掛川青年会議所というところに入りました。私の夢は掛川に店をだすことでした。青年会議所は土日はボランティアです。あまり経営の勉強はしませんでした。入って10年ぐらいはスリーピングしていました。40歳になるまで最後の5年は一生懸命しました。38の時には理事長をしました。 その時に日本創造教育研究所の社長である田舞さんの講演のテープをもらいました。 素晴らしい話でした。38店舗の食べ物屋のチェーン店をやっていることにまず驚きました。 さらに、その人が日本青年会議所の副会頭だと知りました。職人の世界で立派な経営をしている人というだけで驚きなのに、そんな人が副会頭だなんてとびっくりしました。 掛川青年会議所で、どうしても田舞さんの話をみんなに聞かせてあげたいと思っていました。 電話をかけてお願いをしてみたら、ご本人はおられなくて、逆にこんな研修がありますよと誘われました。言うことを聞いておけば、来てもらえるかなと思って参加しました。(笑い) それがSAという研修でした。それからとんとんと(SC、LT、TTと)進みました。 TTも3TTです。JCの理事長をやりながらTTをやりました。 (3) 会社設立と社員の退社 ☆ 人生ビジョン おいしさの2008年と書きました。17年前に書いたものです。当時はまだ20世紀でした。これからは21世紀の時代だということと、たこのはっちゃんということで、2008年のビジョンを作りました。 ☆ 会社設立 昭和52年4月社員が初めて入ってくれました。それまでは両親と私、家族だけでした。 そこで両親とも相談して会社を設立しました。そして、この人が誇れるような会社にしたいと思うようになりました。そこで立てたのがビジョンです。 ☆ 設立ビジョン 小笠・掛川に7店舗5億円体制をつくろうというのがビジョンです。 私が生まれたのは地方の小さな町だったのですが、掛川市はとても大きな町だと思っていました。 掛川は7万人の町です。ビジョンを立てたのはまだ年商1900万円の頃のことです。 5億円というとものすごい金額だと思いました。この位やれば認められるだろうと思う金額です。 ☆ スローガン 続けてスローガンを立てました。スローガンは、 「家族・友人・地域に対し、誇りある企業・職場を目指す」というものです。 当時普通のひとの給料が25,000円ぐらいの相場のころ、うちでは7,000円の給料でした。 彼になんとかまともな給料を払ってあげたいと思いました。 ☆ 浜岡本店 出店第1号です。このあたり(遠州地方)で7店舗5億円を目指しました。 15期は、11億の売り上げでした。このころ日創研で学ぶようになりました。 社長一人で学んでいても、成果はなかなかあがりませんが、 社員さんが一緒に勉強を始めてくれるようになったら、急激に業績が良くなりました。 いまでも一緒に業績アップ上級コースにも行ってくれています。 最近では26億、自己資本比率は、69,8%になりました。 ☆ 社員の退社 社員が退社したことから、経営理念を作るきっかけになりました。 出店一号店は浜岡という原子力発電所があるところです。 本店は、親父とお袋がやっていました。出店は私がリーダーでやりました。 それまでは工場の中に私がいて、社員と共にお菓子を作りました。入ってくる従業員は誰もお菓子など作ったことが無いような人ばかりです。だから私が教えます。社員とは連帯感がありました。 出店したら、僕が新しい店の店長になります。そうすると私の目は届きません。 製品(お菓子)が荒れてきます。文句を言いましたら、社員が辞めてしまいました。 8人居た正社員が全部辞めました。当時、私は専務取締役をしていました。 最後の一人が辞めるとき、電話がありました。電話があればどんな話か分かります。 結局みんなが辞めました。残ったのは数名のパートさんだけです。 ☆ おにぎりやさんの社長 当時尊敬していた、社長がいました。おにぎりやさんの社長です。 その社長が言うには、「社員と同じ気持ちで仕事をすれば社員は付いて来る。素直な気持ちで、しっかり話をするように」といわれました。 「俺が俺がの我(が)を捨てて、お陰お陰の下(げ)で生きる」 という言葉をもらい、 涙ながらにパートさんに「こんな会社にしたい」という話をしました。 それから、新しく社員さんを入れるようになりました。高校の先生に頼んで、毎年一人ずつ入社してもらいました。だいたいどこにもいけないような子が多かったです。当時の社員さんが今の会社を支えてくれています。 その2に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年08月21日 06時32分47秒
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