2000年2月26日の日記
退屈な日々が続いていた。
いや一昨日このダハブにやってきたばかりの身に「続いていた」という表現はおかしいであるのだろうが、感覚的には何日も退屈という地獄に閉じこめられているような心境だだった。
今回の旅もすでに56日目。
目標であった、ケニア山も登って。
ルヴェンゾリは立入禁止だからあきらめたけど、ウガンダにも足を延ばして。
現地の女の子とも仲良くなって。
シナイ山も登って。
そして、後の残りの時間を紅海ですごそうとやってきたダハブであったが。
そこにあるのはただただ退屈という時間の流れであった。
今回の旅の目標を果たしたことで、僕の心の中ではあらたなる目標が燃えている。
その目標のままに今すぐにでも突っ走っていきたい感情が燃えている。
そんな心情の中にあって、のんびりするために立ち寄ったリゾート地など、長居するべき土地ではないのだろう。
今日も昨日と同様に何の予定もない。
退屈な午後、部屋から歩いて10秒のビーチに立って海を眺めてみた。
吹きすさぶ風の向こうにアラビア半島が見えている。あの向こうはサウジアラビア。見知らぬ国だ。
僕はふと感傷的になってみた。
そして前回の旅で南米のアリカで太平洋を眺めた時のことを思い出してみた。
太平洋の先には日本があって、あのときは遠いはずの日本が、すぐそこにあるような郷愁を感じて懐かしく海を眺めていたものだった。
でもこの紅海を眺めていても、対岸のアラビア半島が邪魔して日本をすぐ近くに感じることはできず、随分と遠いところに来てしまったような感じを覚えるのだった。
「随分と遠い所に来てしまったな・・・」
そしてそんな思いは彼女に対する思いと同様であるのかもしれなかった。
部屋に戻ってひとしきり読書などして暇をつぶしたあと、町にでてみるが、歩いて5分ほどの町はもはや見るものも何もなく、ただ退屈を増長させるだけだった。
夕方になってやはり意味もなく海に出る。
いつもなら海を見ながらビールでも飲んで万感の思いに浸りたいところであるが、イスラム教国のエジプトにビールはない。
いやカイロのような大都市になら外国人向けの高価なビールが置いてあるが、こんな田舎のベドウィンの村にはビールなんておいそれとは置いてやしないのである。
酒も飲めない夜が退屈さを助長させる。
遠くの方で潮騒が聞こえてくる窓のない安宿のベッドの、でこぼこの天井を眺めながら明日、ここを発つことを心に決めた。
発つって、どこへ?
本来なら、ここから北に向かいヨルダン~シリア~イスラエルと旅する予定であったが、目的を果たしてしまった後の感情の耐えられなくなった僕は、今すぐにでも日本に帰りたい思いが心に充満していた。
こんな思いは前回の旅でヒマラヤの麓で感じた感情と同じだった。
ここがいやなんじゃない。
この次の場所に早くいきたいだけだ。
早く次の夢のスタートラインに立ちたいだけなんだ。
そんな思いに気がついた僕は、明日カイロに戻ることを心に決めた。
いやカイロに戻るのではない。
もう日本に戻ることを心に決めたと言っていい。
カイロからバンコク行きの飛行機に乗ってしまえば日本はすぐそこだ。
そして日本に帰って次の目標を目指そうと思った。
次の目標は「ヨーロッパアルプスグランドジョラス北壁ソロである。
自分の今居る環境と、その目標のギャップに多少苦笑しながらも、でもそんな目標を心に思い描くことはけして悪い心地ではなかった・・・