2000年2月27日の日記
いよいよ気持ちが前向きになって、日本を目指す帰途につくことにした。
振り返ってみるとケニア山に登ってからあとの日々はだらだらとしていて、無為に過ごしてしまった時間が悔やまれる。
駄目だ。
俺はやっぱりいつも前向きに、目標に向かって突っ走っているべきだ。
そう思ったから帰途につくことにした。
とはいえ、ここは紅海を望むシナイ半島の片田舎。
ここから日本への道は随分と遠い。
遠いとはいえ日本への帰途と思えば気持ちは一層前向きになる。
ともあれまずはカイロを目指さねばならん。
昨日町はずれの旅行会社で予約したカイロ行きのミニバスに乗り込んだのは朝8時であったが、ミニバスはピックアップのため狭いダハブの町中をぐるぐると周り、実際に町を離れたのは9時過ぎであった。
ミニバスといえば名はいいが11人乗りのハイエースにすぎん。
乗り込んだのはいかにもバックパッカー風の白人ばかり9名。
ダハブから紅海のほとりのヌエバまでは美しい海辺を走る。
紅海は世界一美しい海と呼ばれるが、うんなかなか美しい。
世界一かはともかく、自分的「輝け世界美しい海ベスト3には入る美しさだ。
ちなみに1位は礼文島の海だ
2位はボルネオのサピ島だ
やがて道が海から離れればあとはシナイ半島の砂漠地帯をひたすら突っ走るだけである。
ダハブ~カイロはおおよそ600キロだから、東京から八戸くらいかな?
その間に信号も民家もまったくなく、オンぼろのミニバスはきしみをあげながら時速100キロで走り続けるものの、眺めは相変わらずどこまでいっても砂だらけで死ぬほど退屈なのである。
行きと同様スエズ運河地帯の厳しい検問を通り抜け、やがて太陽が砂漠の向こうで傾きかけたころ、夕陽の向こう側にカイロの町並みが見えた。
バスはなんだかよくわからないけど、町中まではいかず、郊外にてみなおろされ、そこからメトロを乗り継いでカイロの中心部に降り立った時は、もう薄暗くなりかけた午後6時であった。
すっかりくたびれ果てた僕は今夜の宿を探す気力もなく、退屈さも手伝って、カイロ中心部にある日本人たまり場「サファリホテル」に宿を取った。
ここもスルタンホテルと同様のドミトリーで1泊ざっと6ポンド(200円くらい)
日本人宿といってもいろいろあるが、基本的には僕はたまり場的というか引きこもり的な雰囲気が僕は嫌いで、普段は近づかないようにしているのであるが、でも今日はもうよかった。
しばらく日本語と、ご無沙汰していたことと、またナイロビのイクバルホテルで出会えた熱い旅人たちのような人がいれば新たな刺激を受けられるだろう。
そんな思いでサファリホテルの門をくぐったのであった。
そしてその夜は今回の旅の中で最悪の夜となるのである。