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ビートルズストーリー、きょうは1960年です。
コシュマイダー所有のハンブルグのクラブで8月中旬から、眠気防止の薬を飲んでまで歌い続けていたビートルズはたくさんのドイツ人をファンにしたのでした。 クラウスとアストリッドもビートルズに新鮮な驚きと魅力を感じ、そして多大なる影響を与えました。 彼らとビートルズの出会いがまたドラマチックなのです。 当時ビートルズが演奏していたところはレーパーバーンという所で、まともなハンブルグ市民の大多数はめったに足を踏み入れることはなかったようなのです。 ところがある晩、有名な医者の息子クラウスとアストリッドが喧嘩をして、クラウスが一人で映画を見ようとぶらぶら歩いているうちに、カイザーケラークラブがあるグロッセ・フライハイトへ行き着きました。 地下から大きな音が聞こえてきたので、下りて入ってみると、リンゴのロリー・ストームが出ていたのです。 交代の時間が来たのでしょう。 ジョン・レノン率いるビートルズの登場です。 中でも変わったサングラスをかけた、スチュアートをクラウスは一番妙に感じました。 彼らの契約はもともと6週間だったようですが、お客の要求により何度も延長されたようです。そういうことから、かなり彼らも自信がついたようでした。 それよりも大きくて高級なクラブ「トップ・テン」にオーディションを申し出たのです。 トップ・テンのマネージャーに気に入られた彼らは契約したようです。 そのことをコシュマイダーが見逃すはずはありません。 「金の卵」ともいえる彼らをどこにもいけないように、ステージとステージの間を短くしたりしてこき使っていたそうなのです。 まだジョージは17歳で、労働許可証も居住許可証もないことをコシュマイダーに密告されたらしいのです。 だからジョージは皆より早く一人で強制送還となったのでした。 アストリッドはジョージにお菓子の袋とリンゴを持たせてやったそうです。 実話というものは本当に作り話より面白く、またもやドラマチックな事件がおきたのでした。 残りの4人はトップ・テンに移って一晩出演したようです。 ジョンとスチュアートは荷物をトップ・テンに運んでしまっていて、ポールとピートが前にいた部屋を片付けるために戻り、火を使ったためにボヤ騒ぎになったのです。 こうしてまた二人捕まり国外退去を命ぜられたのでした。 給料もすぐなくなるような生活のようでしたが、彼らはみなそれ以上のものを掴み取っていたのでした。 スチュアートはアストリッドと11月に婚約し、ジョンはその後自分のトレードマークとなるリッケンバッカーを月賦で手に入れたそうです。 そのリッケンバッカーは1950年代にイギリスでも人気があったジョージ・シアリング・クインテットのギタリストのトゥーツ・シールマンスが愛用していたらしく、ジョンも気に入り、1958年製のリッケンバッカー325メイプルグロウを、レーパーバーン近くのロトホフという店で買ったそうです。 トゥーツ・シールマンスというミュージシャンはハーモニカ奏者でもあるようです。その上日本のCMにも出演したりしたみたいです。 1922年ベルギー生まれで1952年、30歳の時にアメリカに移住したそうです。 この人は16歳の頃「サッチモ」ルイ・アームストロングと競演したそうです。 ジョンも30歳?30代?の時にアメリカに移住したんじゃなかったでしょうか。 とにかくジョンはアメリカ製のリッケンバッカーをドイツで見つけた事に感動したのではないでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月30日 20時36分20秒
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