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諫早湾干拓の開門に関して、賛成だの反対だのでみなさん、お疲れでしょうが、ひと時僕の「ビートルズ・ストーリー」をお楽しみください。
1969年4月11日、ビートルズの19枚目のシングル「ゲット・バック」は発売された。それからわずか3日後にどうしてジョンは20枚目のシングル「ジョンとヨーコのバラード」をポールとふたりきりで録音したのでしょうか? このレコードは「キリストのはりつけ」の歌詞のためにBBCとアメリカのほとんどの放送局で放送禁止になったそうです。 1912年4月14日はタイタニックが沈没した日でした。タイタニックの事を調べていくうちにリバプールが母港で、4月10日にサウサンプトンからアメリカに向け処女航海に出た、という事がわかりました。 ジョンとヨーコのことを歌ったその曲は出だしがサウサンプトンから始まるのです。 タイタニックの進水した日を知り僕は確信したのです。1911年の5月31日。「ジョンとヨーコのバラード」の発売日の5月30日と1日しか違わなかったのです。 加えてもっとよく調べると、もともとのタイタニックの主任設計技師が船の所有社と折り合いが悪く辞任したため、新しく主任設計技師になった人が、ジョンが死んだ歳とひとつしか違わない39歳で、タイタニックと運命を共にしていたのです。 タイタニックの事を調べると1冊の本ができるくらいに面白いです。 その事故で唯一生き残った日本人が、YMOの細野晴臣さんの祖父だったという事も思い出しました。そしてその事故の後、犠牲者に対する鎮魂を込めたポストカードが作られています。 きっとジョンもそれを見たんだと思います。 それには沈み行くタイタニックと十字架を背にしたキリストが書いてあったのです。 聴くと単調なこのジョンの曲はタイタニックのように奥が深かったのです。 バラードもバラッドも意味は大体同じらしいそうです。 中村さんの本によると、バラッドとはイギリス系民謡の中で最も重要なんだそうで「物語り歌」。 つまりストーリーを持った歌であり、曲よりも歌詞に重要性がある。 そしてバラッドには「ハングマン」というカテゴリがあってそれは歌詞が「絞首刑に処せられる父と娘の会話」から成り立っているそうです。 ちなみにハングマンとは、死刑執行人の意味らしい。 ジョンはヨーコとの結婚の喜びに、処女航海で沈んでしまったタイタニックの物語を織り込ませたのではないでしょうか? ジョンは結婚の喜びをいち早くみんなに知らせたいと思うのと同時に、イギリス・リバプールの名誉でもあったタイタニックの進水日と合わせたかったのではないでしょうか? そのころビートルズは別行動が多かったですが、それでもリーダーのジョンは他のメンバーの事も考えていたのでしょう。 その日11テイク録音したそうですが、4回目のテイクの前にジョンはポールに、「もうちょっと速めにやろうぜ、リンゴ」と呼びかけると、ポールは「OK、ジョージ」と言ったそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年04月14日 20時04分19秒
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