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人間って環境によって左右されると言うけれどジョン・レノンはそれを証明してくれた人でした。
ジョンの祖父もまた歌手だったのです。 そしてジョンの母親があんな形で死に、前よりも残酷な冗談を口にするようになったのです。 ジョンはたまに嘘をつくこともあったようですが、ほとんどは損得考えずに率直に発言するタイプだったのでしょう。 1966年6月29日に日本での記者会見でジョンはベトナム戦争について訊かれ 「関心は持っている。戦争はいけないことだ。しかし我々はこれに反対しても、何もすることができないのである。」 と答えています。 これにより多くの人はビートルズは戦争に反対していることを知ったでしょう。 一部の人は約3か月前の3月4日にロンドンのイブニング・スタンダード紙に 有名なジョンの「キリスト発言」が載っていたのを知っていました。 掲載されたちょうど4か月後にキリスト教国で彼らがデビュー前から本業としていた ライブを辞めさせるに十分な事件が起きたことはただの偶然だったのでしょうか。 それでも1966年7月4日2回で約10万人観客を動員したという リサール・メモリアル・フットボール・スタジアムの公演は無事に終わりました。 この日の公演を彼らはどんな胸中で行ったのでしょう。 翌日彼らは死ぬ思いでフィリピンを脱出したのです。 この日の公演で僕が一番興味深かったのが、 チケットにペプシやミリンダ(昔学校帰りなどよく飲みました。) キャセイ・パシフィックのマークが印刷されていたことです。 ちなみに日本公演が終わってフィリピンへは当初キャセイ航空を利用する予定が、 日航機「KAMAKURA」に変更されたそうです。 プラスチック ダブルラインカチューシャ 《平凡社》トルストイ 米川正夫訳世界名作全集22 復活 トルストイ 【中古】afb お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月04日 20時29分46秒
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