1964年のビートルズの夏のツアーにカンザスシティは当初含まれていなかった。9月17日彼らは休みだった。マネージャーのブライアン・エプスタインがそこでのライブを承諾したのはメジャーリーグ、アスレチックスのオーナー。チャールズ・O・フィンリーの熱意に負けたのだろう。出演料も一人あたり15万ドル。当時彼はかなり不人気だったために(以前からの白い象のマスコットを自らの名前を付けた「チャーリー・O」というロバにしたのも理由の一つでしょう)コンサートのボイコットを促す記事が地方新聞に掲載され、会場の市営スタジアムの半分は空だったという。それでも2万人の観客が集まった。
ドラマはこれだけではなかったのです。
そのときのライブが撮影されていたのです。このフィルムは44年後の2008年に発見されたのです。
当時15歳だったDrew Dimmelさんが父親を説得しビデオカメラを借りてスタジアムに行くと、父親の友人である新聞記者がDrewさんたちのために撮影してくれた。
そしてカメラ屋で現像し引き出しにしまい忘れていた。
59歳になったDrewさんが両親の家を片付けていると偶然このフィルムを発見したそうです。
参考
gigazine.net