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カテゴリ:読売新聞
1964年4月4日付の全米チャートは信じられないような現象が起きていた。なんと1位から5位までみんなイギリスの音楽グループの曲だったのだ。
シングル曲は通常なら数カ月に1回発売されるのでこういうことはないけれど、アメリカだったからこそ起きた出来事だったようだ。 アメリカこそが世界の中心だった。音楽界もまた然りだ。 しかし同じ英語圏でビートルズの人気がイギリス同様になるのにはそう時間はかからなかった。 幸運なことに前の年の10月31日ロンドンのヒースロー空港でスェーデン公演から帰って来たビートルズがファンに迎えられ大騒ぎだったところにたまたまエド・サリバンが居合わせていたのです。 テレビ番組の司会だった彼がその大騒ぎに無関心なはずがありません。 その日のうちにビートルズの番組出演の仮契約を交わしたそうです。 テレビを見ているとよく売れてくると手のひらを返すようにまわりの態度が変わったと聞きますが、 当時のアメリカでもそれは変わらないようです。 アメリカの各レコード会社のビートルズの作品の発売が如実に物語っています。 発売順を見ると前人未到の記録が生まれたことも説明がつくようです。 3位の「シー・ラヴズ・ユー」がフィラデルフィアのマイナー・レーベルのスワンから前年9月16日発売。4位の「抱きしめたい」が1月13日におなじみのキャピトル。1月30日がシカゴのマイナーレーベルのヴィー・ジェイから出た「プリーズ・プリーズ・ミー」。3月2日にはトーリーから「ツイスト・アンド・シャウト」。3月16日に「キャント・バイ・ミー・ラブ」がキャピトルから。 ビートルズの人気番組への出演が決まったことから、アメリカ国内のレコード会社の足並みが揃ったというわけでしょう。 よく前例がないと言いますが、 皮肉なことにおそらく2度と出ないであろうこの記録はイギリスのグループがアメリカで売れた前例がなかったことから 生まれたものだと思います。 そしてその49年後の日本での心あたたまるニュースを知りました。 「まさき」 と聞くたびに「誰なんだろう?」と名前を間違ったかおりちゃんの事を思い出しますが、 同じ福岡の日高雅樹船長のビートルストーリーです。 JR九州高速船のビートルどういう名前の由来は知りませんが、神はまた物語を作ってくれたのです。 1分でも遅れないようにと人命よりも時間を守ろうしてしまった日本人ですが、 15分遅れても誰も苦情を言わなかったというお話です。 きょうの読売新聞からの記事の抜粋です。 3月24日に長崎県対馬沖で 釜山から福岡市へ乗客68人を乗せて航行中に炎上する漁船を発見して 船長とインドネシア人乗組員を救助しました。 巡視艇は近くにおらず、海保基地から駆けつけるには、約1時間半かかる状況だったそうです。 【中古】 旅の指さし会話帳(2) ここ以外のどこかへ!-インドネシア ここ以外のどこかへ!旅の指さし会話帳2/武部洋子(著者) 【中古】afb 【送料無料】女も知らない女のカラダ [ 対馬ルリ子 ] 小学館文庫 も3-13ザ・ラストメッセージ海猿/佐藤秀峰/小森陽一/・取材福田靖【もれなくクーポンプレゼント・読書家キャンペーン実施中!】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年04月04日 18時09分05秒
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