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芸能人の神髄とはきっと観客を楽しませるということだろう。1960年の1月の時点でジョン・レノンはまだビートルズと名乗っていなかったようである。その頃はジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグスというグループ名だったようだ。この頃ジョンは美術学校の大学院に進学する予定だった親友のスチュアート・サトクリフを説得してグループに誘ったようだ。スチュアートが休学してハンブルグ巡業に参加したことを彼の才能を知る大学教授たちは失望したそうです。ピート・ベストのビートルズ加入はその7か月後だった。ハンブルグ行きが決まった後、ポールが誘ったらしい。当時のマネージャーのアラン・ウィリアムズはこの二人とジョン、ポール、ジョージをオースティンのバスに乗せてハンブルグまで連れて行き8月17日からインドラ・クラブに出演させた。
前金として15ポンドを彼らに渡し、黒のクルーネックセーターを買うように命じたそうです。ちなみに現在のハンブルグの8月の最低気温は13℃です。 ビートルズはハンブルグの街がリバプールと違い洗練されているのには驚いた。 喜んだのも束の間、彼らが演奏するところは夜には売春婦が街中に溢れるという歓楽街のレーパーバーンだった。 最初の観客は10人程。インドラ・クラブの観客はバンド演奏より、酒と雰囲気を楽しみに来ていたようだ。 ろくに自分たちの演奏を聞いていないと感じたビートルズもきっと出ばなをくじかれたんだろう。 彼らの演奏ぶりを見たマネージャーとそのクラブの経営者はビートルズが心から演奏を楽しんでないような姿勢を叱りつけた。 切り替えが早いビートルズは翌日は観客の後押しもあり、派手なショーでファンを増やしていった。 過酷なスケジュールと映画館の裏部屋での寝泊まりで彼らは薬の助けを借りることになる。 ★【送料無料】 DVD/ザ・ビートルズ/ザ・ビートルズ~ハンブルグ・イヤーズ~/GZDVD-2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月17日 20時53分48秒
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