|
カテゴリ:カテゴリ未分類
1965年8月27日ビートルズはエルヴィス・プレスリーの別荘に招かれたそうです。その前年ジョンが「僕らの曲はすべて反戦歌だ」という発言をしたというのは本当なんだろう。だからこそ彼らのその夜を記録するカメラやテープレコーダーの持ち込みは禁止されたのだ。エルヴィスの家にはベトナム戦争に関わっていた大統領の「どこまでもリンドンジョンソンとともに」というスローガンが書かれていたものが置いてあったという。ジョンにしてみると最も見たくないものを見てしまったという気持ちだったんだろう。ウィキペディアによるとその日は大統領の誕生日だった。『ヤフー知恵袋』ではスキャンダラスな人物ではなかった彼は「アメリカのキリスト教倫理観」においては評価される大統領だったと書いてありました。
彼らの間を取り持ったクリス・ハッチンスはエルヴィスにビートルズに会う気があるかどうかを確認した。 「ジョン・レノンはどんなふうに優秀なんだい?彼は一人でも成功できたのかな?ビートルズは僕に会って自分たちの成功を自慢したいだけだと大佐から聞いてるけど・・・会うかどうかは大佐の勧めに従うよ。」 とかなりエルヴィスはジョンを意識していたようです。 きっとビートルズはエルヴィスが自分たちの事をどう思っているのか気になっていたはずです。ジョンは挑発的な彼の発言を事前に聞いていたのでしょう。 その夜ジョンの挨拶は 「おお、貴方様ですね」 彼の右に座ったジョンとポールはかなり緊張していたようです。エルヴィスはソファーに座ってテレビを見ています。 訪問から30分ほどたった頃にやっとエルヴィスが話しかけました。そして立ち上がりレコードを1枚かけベース・ギターを手にとり曲に合わせて弾き始めると座が打ち解けたそうです。 そしてセッションが始まった。ポールがジョークを言った他は会話より音楽中心でエルヴィスはビートルズにひとつの質問もしなかったそうです。 エルヴィスは「僕は君らのレコードを全部持っているんだよ。」と言ったらジョンは 「僕はあなたのレコードを1枚も持っていません。」 またもジョンはその場を凍り付かせたのでした。 ジョンの毒舌はまだ止まりません。 「サンのサウンドが好きだったのに、なぜあのようなレコーディングをしないのか?」 皮肉にもこの疑問は数年後にビートルズの一部のファンがジョンに抱いたものとまったく同じでした。 エルヴィスが気を悪くするようなことばかり言ったジョンでしたが後に「昨晩は僕の人生で最高の夜だった」と言ったそうです。」 面白いのはテレビのリモコンを初めて見たと喜んでいたポールでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月27日 22時19分41秒
コメント(0) | コメントを書く |