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また約2か月ぶりとなりましたが、きょうのビートルズは1966年です。フィリピンのマニラ公演から一夜明けた7月5日、彼らが起きてルームサービスに注文した朝食が待っていても届きませんでした。マルがフロントに行ってみても、マニラホテルの従業員は誰もいませんでした。もはやホテルの従業員にとってもビートルズは普通のお客以下になっていたのです。 その朝フィリピンの人気テレビ番組の司会者ボビーはマニラホテルのスイート402号室のテレビの前に座っていたエプスタインとジョージ、ポールにインタビューをしています。 ジョージは「ここに来たいとも思わなかった」と最初から本音を言いましたが、ポールは「誰も怒らせたくないし、特にこの国に来たのはただ歌いたかったからなんだ」と騒ぎがこれ以上大きくならないような言い方をしました。 ポールは前日にホテルを抜け出してマニラを散策していたのです。 だから他のメンバーよりもフィリピンの実情を把握できていたのでしょう。 見出しに『無礼だ、無礼だ!』と書かれた地方紙を指さして、ポールは「ああ…誤解だ」とつぶやき、マネージャー から固く口止めされていた、政治と宗教の話をインタビュアーに逆に質問してしまったのです。 そのうちジョンが部屋に入ってきて言いました。 「フィリピンについて学ぶべきことがある。まず、ここからどうやって脱出するかだ」 ジョンはポールのように議論するより一刻も早くフィリピンから抜け出したかったのでしょう。 それでもマニラ国際空港まで運転手はちゃんと自分の仕事をこなしたようです。やはり、ビートルズのファンは彼らのことを信じていて空港に帰る道中、手を振って彼らを見送っています。 デイリーミラーの報道で空港の支配人がビートルズへのセキュリティはないと警告したとのことですが、このまま帰らないわけにはいけません。 エスカレターも使えない状況で重い機材を運んだうえに、暴徒に追い回されエプスタインとマルは蹴られるなど、命からがらのようにして飛行機に乗り込まなければならなかったのです。 この時のマネージャーは搭乗予定のインド行きの飛行機にも目を向ける必要があったのでした。 KLMオランダ航空862便がビートルズを乗せないまま離陸してしまうかもしれないという懸念が生じたのです。 しかし、エプスタインはパイロットに直接連絡を取り懇願して事なきを得たのです。
この公演にはヴィック・ルイスも関わっているので機会があればまた書きます。 https://www.beatlesbible.com/1966/07/05/the-beatles-leave-the-philippines/ https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2020/08/07/220000 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月05日 20時50分07秒
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