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カテゴリ:人生
最近 日本でも発行になったインスピレーション。内容まで同じかどうかはわかり
ませんが 心に残った話をひとつ。これはがんの末期患者とホスピスで活動する ある精神科医の日常の会話です。 ある日 死がかなり近くまできている患者のもとへ行った このお医者さん。 部屋に飾られたたくさんの絵が目につき あなたはアーティストなのですか?と 聞く。患者さんはそうですと答える。あなたは才能がおありですねと言った言葉に その患者さんは才能とは全く関係のないもの。これらはリスクとともになされたもの。 と、答えたそうです。そのお医者さんは患者さんの死の直前に立ち会ってもなお その人が リスクを冒して自分に何かを伝えようとしている事を感じ取った。 ”生きることと死ぬことには たくさんの勇気がいる。 私たちが肉体を所有し、この世に生を受けた時点でそれは同時に死と言う点へと 向かって行く。行きているのが怖いと思うのは 無意識が死の点へと向かっている事を 無意識が感じているからなのだろうか?生きることは死へとつながる。 それが人を今ここに生きる事で 鬱にしていくのだろうか? 生を生き切るための勇気。死という点へ胸を張って堂々と生きていく勇気。 生きる事への情熱の現れが 衣食住への 恋愛への 性への欲望なのだろうか? 16年前の雑誌でオノ・ヨーコは そのうち人類が死なない日が来ると言った。 その頃その言葉の意味をずーっと考えていた。つまり魂には死は存在しない事への気づき? それとも科学が発達して肉体が永遠に存続する? もしも死が恐れるに値しないものであると悟る事ができれば この生はもっと輝きと 喜びに満ちたものになるのだろうか? そのためにチベットで 死者の書が書かれ子供のうちに死に対する教育が 施されるのだろうか? 死への恐怖を軽減するために? 人が変化を恐れるのも変化の先が見えない事から来る恐怖があるから? その恐怖が 怒りに転換するのを何度も見た事がある。 母親の産道は暗い?(多分)だから赤ちゃんは泣くのかな?それはまた別? 人生を歩むと言う事は 見えない未来へあるく事。見えないという事はそこは暗闇。 暗闇は視界が遮断される分 意識が自分の内側へと向かう。 そこで出会う本当の自分。それもまた恐怖をもたらすのかな? 人生の中で 自分に起こる出来事や出会いは 良くも悪くもそれはレッスン。 注意を向けて 素早く学ぶこと。(チェロキーインディアンの女性が孫に向けた言葉) わかってるのにいつまでもだらだらと引っかかって後ろ髪ひかれてる場合じゃないのね。 なぜって?人生は瞬きする一瞬の長さでしかないから。 さあ、あなたは今日という日をどのように過ごしますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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