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カテゴリ:人生
幼稚園児の頃 私の悩みは 靴下をはかされること。
靴下が 大嫌いだった。 足の 締め付けられる 感じが 私の心を 窮屈にする。 出かけるときだけ 親の機嫌を たしなめるためにはいたけど 帰るときには いつも鞄の中に。 母はいつの間にかあきらめて 何も言わなくなった。 私の粘り勝ち。 小学校にはいり 私の悩みは 授業のスピードが 自分の吸収して行くスピードで 進まないことが 時間を 無駄に しているな~ということ。 授業は退屈過ぎて 百科事典を読んでたこともしばしば。 アメリカの学校のように 飛び級が あったらいいのにと いつも思っていた。 それが 教育者から 生意気 呼ばわりされるはめに。 のびる目は こうして 摘まれて 行くんだなーと 思うと まだ独立しては 暮らせない 年齢に なんだか悲しかった。 中学では 無意味な 人格教育が 悩みのタネ。 教育者は 個人の感情をむき出しにするだけで 教育するということの本来の意味を 完全に失っていた。 そして 学ぶ側さえも 不良の 意味を 完全にはき違えてることに 学校という存在は ばかばかしいものだった。 高校は 中学の 延長のような 環境だった。 服装の違いで 呼び出しにくる アホな先輩たち。 13人の先輩に囲まれた時に 言ったのは くだらないことで 呼び出して恥ずかしくない? だった。 教育者も含め 幼稚な集団に 時間の無駄を 感じて 自主退学。 私たちは生まれて間もなく 自動的に 教育機関と関わりを持つ。 そこで 人生の3分の1ともいえる 時間を過ごす その環境は 個人の持つ才能を 決して 伸ばすものではないことに 悩みのタネはあった。 根本にあるものは 社会に沿う人材の育成。 もしもその社会が 病んでいるとしたら? そこに 照準を あわせるのは 病人を 生産することにはならない? 後に シュタイナー学校の 存在を知ることになったのは 既に 日本の教育機関に まったく 興味がなくなった 年齢に なったときだった。 R&Rは 私を踊らせ、ジャズは 私の心を 解放した。 BIRD. 私の心は 羽ばたいた。 そして 私は 友人のやさしい言葉に 縛られることもなく 南へと向かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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