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テーマ:暮らしを楽しむ(388166)
カテゴリ:人生
あきらめたら 心のかるくなった 関係がある。
家族のつながりが 何かを引きずっていた。 何かに 拘束されて ひとは愛せない。(私の場合) 何物からも 自由な状態で 解放された所で 愛を語りたいのは 理想主義的? ふゆの空は 空気が冷たいから 星の輝きが いつもと違う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こんなに 離れて 暮らしていても(本当に、もう何年?) 私の両親は 手紙どころか 電話をくれたこともない。 こんな 家族ってあり~?(はい、ここにいます) そんな 両親のあり方に 心配じゃないわけ~! と毒づく姉。 そんで ある日 母に 聞いてみた、”どうでもいいと 思っているんでしょ~?” と 軽く、かる~く 聞いてみた。 ”心配してない わけじゃないのよ。だって 言うこと 何もないんだもん” (はい、正直でよろしい) 確かにそう。 母の知らない言葉を話し、母の行ったことのない国を旅し、そこで暮らす子供に 親の役目終了(ご苦労様)と感じたのだと思う。 ”今さら何が言えるの?” ”元気~とか どうしてるの~?とか いろいろあるじゃん”(毒づく姉) そうなのです 私たち親子は 現代に あまり 例を見ない あれこれ 言わない関係。 そういう環境が 人生のあり方の指針を 早い時期から 考える きっかけを つくった。(今の私あり) 親のできる範囲を わきまえてた人たち。 口べたの 父は 寂しさの中で かなりの時間をかけて 脳腫瘍になって行った。 2度目の 腫瘍を 摘出するかというとき 彼は死を目前に 選択を迫られた。 寂しいままで 人生を終えるのか、自分の 人生を 始めるのか。 子供次第ではない人生、奥さん次第ではない人生、母あるいは 父次第ではない人生。 自分にわき起こる エモーションとのディール。 で、彼は もじもじしながら 皮肉になりながら それでもなんとか 扉を開けた。 再生の扉。11年生まれ。人生が もっと自由でいいことに 気付き始める。 さすがの母が 再発の際に 兄弟を伝い 連絡をくれる。 そして1ヶ月の帰省。 相変わらず 娘との対応に不器用で 言葉に詰まっている父。 (そんな関係は 2年前の5月 テレビのドキュメンタリーで放送されました) 氷は溶け始める。 おもちゃ売り場の 子供のように 最後まで じたばたしようとした 父。 そこには 叱って、なだめる母は もういないのだよ。 そして あきらめが 彼の視点を変えた。 こちらに戻って 実家に電話。母が 腫瘍の 成長が止まったことに 驚いていた。 ”あなたに会いたかったんだね。会ってすっきりしたんだよ” (あー、そう) 確かにそうかも知れない。 私は そこに 父の 魂の成長を 見た気がした。 私たちは この世で 家族という形を取って 生まれて来た。 ただその関係が 飛び立つものの羽を 折っていいことにはならない。 愛の名の下において。(子への愛、親への愛) それをしなかった 放任主義とも 無干渉とも違う 対応に 感謝している。 私が 異国で 病気になると へその緒の つながったことのない父が 夢を見る。 私のからだが 母とつながっていた時 私の意識は 父とつながっていた。 家族とは それだけで よい気がする。 あの人たちは 冷たいよと 姉は毒づいていた。 ありがちな 家族像、あるいは 暖かさを感じる 家族の関係を いつも心に描いていたひと。 そして そんな彼女が 作り出した 独自の 子育てもまた 素晴らしい結果を 生み出している。 他者からの 影響を受けない 個人を尊重する 子育て。 両親の愛は薄かったか? ひとは 一人生まれて 一人死んで行く。 愛とは そこにあるものを そのままに生かせること。 それだけで 十分だと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私の恋するひとは 今夜の星を きれいだねと 純粋に表現した。 そして 今ここにいることを そのままに楽しむまでに 成長した。 あるいは 初めからそうなのを 私が気付かないだけだったのか? ひとは 死ぬまでに 色んな形で ひとと関わって行く。 家族として 恋人として 友達として、ただすれ違うひととして。 その関係のどれもが 尊敬に値し、また そのどれもが 特別ではない。 そのどれもが 旅の途中であり、また そのどれもが 自分を引き止めはしない。 誰もが 魂の旅の途中。 寂しさや 悲しみに こころを とらえられてる暇はない。 あなたの ステージ。 あなたが 歌い 踊る。 観客がいようが いまいが そんなことは 問題じゃない。 肉体があるから 息絶えるまで 歩き続ける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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