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幸せを求めるなら 不幸になる事さえ受け入れなくてはならない。
なぜなら それらは 表裏一体ともにあるものだから。 不幸であることにより 幸せとは何かという認識が生まれる。 幸せになることをやめたとき 人は不幸からも 解放される。 幸せになるための ツールを 売り物にしている人たちに 不幸がおまけでついてくることを 消費者に伝えてほしい。 でないと どうして不幸になったのか どうして不幸なのか と言うことに 皆 戸惑っている。 _____________________________________ 高校進学のとき 姉が 一押しして 止まなかった 高校があった。 英語教育が 充実していた 学校だった。 選択権を 持たなかった 私は 希望にも関わらず そこには いかなった。 (行けなかったとも言える) それが あれから 20年以上も経つ今 私は 英語の 授業に 参加し 解剖学やら 人体構造やら その他 セラピーに 関することを 学んでいる。 人生は 何が 障害と なるかはわからないけど その流れは 年月も 障害さえも 乗り越えて 本来の 目的地へと 流れていく。ふとそんな言葉が 心をよぎった。 障害になったのは その時の 両親の考え。 家族や知人の 誰も 想像のしてなかった 人生を 歩んでいる。 ただ 自分の中に 燃えたぎる 情熱の 明かりを 照らしながら それが 導く 先へと 歩んでいる。 幸せでも 不幸でも どちらでもかまわない。 それらは 永遠に 逆転していく。 どちらであっても どちらにでもなる。 だから どうでもいいと 思う。 _______________________________________ 年齢も 性別も 国籍も忘れて ひたすら 本と 向き合う 自分がいる。 どうしても知りたいことがある。 その姿勢は 2才の頃から変わっていないのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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