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テレビも見ずに暮らして 一体どれだけの年月が流れたことか。
それでも 毎日の暮らしに 支障はないし 余計な情報を 脳内に 垂れ流すこともないから 世情に 一喜一憂することもない。 先日 久しぶりに 映画に行って (Broke up!) その中で ”どうして みんな Eーメールするかわかる? みんな 情報だけを得たいんだ。 ほかの 面倒くさいことは抜きにして 素早く、答えだけ欲しいんだよ” という言葉が耳に残った。 確かにそうかも知れない 部分もあるし 長距離電話するなら メールの方が 読む時間も 送る時間も 選ばないから 便利だと 言うのは私の場合ある。 映画の流れから 言うと 人と人とのコミュニケーションについて 言いたいことがあったのだと思う。 人の気持ちなど そうそう読めるものではないから 言葉にして いってもらわないと あるいは その表現も 遠回しではなく 何についてそういってるのかということを 的確に 伝えるものでないと 勘違いから 気まずくなったりするということを 伝えたかったのだろう。 私達は いまや 言葉抜きでは 生きられない 社会にいながら そういう問題が起こるのは 言葉あるいは 言葉の表現という教育が 真剣になされてないからのような気もする。 生まれて間もなく 聞くことによりそしてその後は読むことにより 私達は 自然と言葉を憶えていくのだが そのプロセスが あまりに 自然に行われるために 表現するということに対しての 方法論的なものを 両親も 学校も あえて 時間をかけて教育して いない気がする。(今の 日本のことは あまりわからないから 何とも言えないが、そんな気が、、、、) この表現ということが 実は 対人間と付き合う上では かなり重要になってくると 思う。 情報化の 流れの中で 流されてしまうのか あるいは 言葉の表現ということに 関して 自分はどうであるかを 見つめ直すのは 大事なことだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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