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この1月17日で阪神淡路大震災から20年という月日が過ぎました。
20年前にTVのまえで神戸の惨状を見ながら流した涙をこの日はまた違う気持ちで流す涙となりました。 夫がうまれ育った神戸、私が大阪に住んでいたころショッピングや食べ歩きで訪れたおしゃれな街神戸が、壊れ、焼かれ、さっきまで何ごともなく普通の冬の朝を迎えようとしていた六千四百あまりの人が亡くなった大震災。 連絡がつかない神戸の親兄弟とその日の夜にやっと電話が通じた喜びは忘れられません。 あの年は3月にオウムのサリン事件も起こり、このまま日本はどこにいってしまうのかと思ったほどでした。 そしてあの年がきっかけかと思うほど、そのあと我が家にもさまざまなことが起こりました。 試練と恵みが交差する歳月。 あれから20年か・・・。 40歳だったわたしが今年還暦を迎えます。 17日の震災特集で阪神淡路大震災の倒壊した建物や街並みをみていると、当然東日本大震災のことが思い出されました。 地震の型も被災した面積も違うけど、故郷の変わり果てた姿を目の当たりにした人々の心の傷は同じ。 神戸と東北の震災でふたつの故郷が壊された姿をみることになったことがその時々の我が家の歴史と重なります。 神戸の震災でも夫の家族は無事でしたが、その後の人生が大きくかわった知り合いは多くいました。 東日本大震災では時間が少し違っていれば私も夫も津波で命を落としていたかもしれません。 震災直後は、生き残った私たちは東北のためになにかしなくては・・・と思っていましたが、現実にはなにもしていない状態です。 なにができるんだろう・・・ そんなことを思っていたら、震災をしらない神戸の高校生が東日本大震災の被災者である福島の高校生と交流を持ち、それまで「東北で起こった地震」としか思っていなかったけど「○○さんのいる東北」だと思ったらとても身近に現実のものとしてとらえられるようになったというのを聞きました。 そして生まれた時にはもう街は形だけは復興していた神戸の震災のことも、やっと本当に起こったことだったのだと実感するようになったと。 そういえば今年の年賀状で京都の友人が「東北の震災のニュースのたびにあなたのことを思い出しています」と書いてありました。 私が東北に住んでいることが震災を身近に感じてもらえることにつながるのかもしれない。 少なくとも私を知っている人だけにでも東北を身近に感じてもらえたら。 私たちが東北で暮らし続けること、子や孫と東北で住み続けることだけでも震災を風化させないことになるのかな。 間接的ではあっても「あのひとも東北にすんでいたな」と思うことで天気予報で東北の天気も気にしてもらえるかも。 住み続けよう。 そしてときどきここに記そう、東北のこと。 そんなことを感じた1月17日でした。 東日本大震災の「花は咲く」の曲は私のお葬式で流してもらいたいと思うほどすきな曲ですが、(笑) 阪神淡路大震災でうまれた「しあわせ運べるように」は涙を流しながらも力をもらえる歌ですね。 しあわせ運べるように 1.地震(津波)にも負けない 強い心をもって 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう 傷ついた神戸(野蒜)を 元の姿にもどそう 支え合う心と明日への 希望を胸に 響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸(野蒜)のまちに 届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように 2.地震(津波)にも負けない 強い絆をつくり 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう 傷ついた神戸(野蒜)を 元の姿にもどそう やさしい春の光のような 未来を夢み 響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸(野蒜)のまちに 届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように 届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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