カテゴリ:福岡ソフトバンクホークス
今年の日本シリーズは最高につまらない結果に終わりましたね。
それでは、今日はここま・・・でというわけにはいきません。 ソフトバンクホークスの和田毅投手が今日、 今季限りで現役を引退することを発表し、 急遽夕方から福岡ドームで会見が行われました。 和田は2002年のドラフトで早大から当時のダイエーに1位指名され、 一時期はメジャーへ挑戦したもののホークスに復帰し、 今日まで国内ではホークスで活躍してきましたが、 『ダイエー』ホークス時代の選手は全員引退することになります。 朝ドラ『おむすび』で『FDH』の野球帽やユニフォームを見ると懐かしく思いますが、 本当に昔話になってしまうのは寂しいですね。 また、1980年度生まれでプロ野球で活躍した選手を多く輩出した、 『松坂世代』最後のNPB選手でもありました。 同世代の藤川球児が阪神の監督になることを考えるとなおさらすごいことだと思います。 スーツ姿で引退会見に臨んだ和田のコメントは以下の通りです。 「(引退は)最近決めたわけではなく、 7月過ぎくらいから自分の中では固まってはいた。 妻にも7月には伝えていた。 ここまで皆さんに知られずに、 この日を迎えられて僕としては良かったかなと思う。 2018年に(左肩痛で)全く投げられず、 翌年復帰してから5年間で駄目になったら 辞めようと思って戦っていました。 その中で、選手としての役割がだんだん終わりを 迎えているのを今年は特に強く感じた。 それよりも選手ではない立場でホークス、 そして野球界に貢献し勉強する時間に充てたい 比率が高まり、完全に上回ったのが今年。 膝の痛みだったり腰だったり、内転筋の肉離れだったり、 中継ぎで投げた時も肩の痛みを感じながら、 何度も注射を打ちながら投げた部分があったので、 最後は体がボロボロになっているのを投げながら感じていた。 治療の甲斐あって9月に良くなっていって、 試合で投げられるようになるかもしれないと思った時、 今年(引退する)決断をして、球団トップの方に伝えていた。 最後だという気持ちでやっていたので、 どんな形でもチームに貢献できる形で終わりたいと思った。 最後は肉離れしてしまって日本シリーズに 貢献できなかったのは申し訳なかった。 『来年のためにリハビリを頑張ろう』という声を頂いた時に、 自分としては今年で終わりと思っていたので、 初めて小久保監督や倉野コーチ、チーフトレーナーの 3人だけに(引退を)伝えた。 『ホームにいる時はチーム中でやらせてもらえませんか』 というわがままを許してもらったことに感謝したい。 今年ホークスは優勝したけど、自分の中で優勝して (ポストシーズン前に)引退試合や引退の報告をして、 『和田さんのために日本一になろう』とかいう空気だけには 絶対したくなかった。 優勝したのは紛れもなくチーム全員の力ですし、 ファンの声援あっての優勝だと思うし、 その中で私情を挟んではいけないと思った。 球団からは引退試合の話はありましたけど、 そこは固辞だけにさせてもらった。 僕らの同世代も自分が最後だし、ダイエーの選手としても 最後なので寂しい気持ちはありますが、 やり残したことのない野球人生だと思っている。 今後はゆっくり休みながらぼんやり考えていきたい。」 会見の後には選手会長の周東が花束を持って登場し、 和田と握手を交わしてこれまでの労をねぎらいましたが、 その後「後続の皆様、お願い致します。」とアナウンスがあり、 現役では石川・東浜・有原・又吉・杉山・藤井・リチャードが、 そしてOBでは高谷コーチ、明石コーチも登場しましたが、 最後に同期入団の新垣渚氏も登場し、和田を驚かせました。 中でも『野手最後のダイエー戦士』であった明石コーチは、 ダイエー時代のユニフォームを着用していました。 そして最後は長年戦ってきた福岡ドームのマウンドの上で、 戦友たちと一緒に記念撮影を行いました。 球団としては何かしらのポストを用意する模様で、 今後和田本人と話し合っていくそうです。 また来春のオープン戦の中で改めて引退試合を行うプランもあります。 できれば最後はファンの前で雄姿を見せてお別れしてもらいたいと思います。 和田投手、22年間の現役生活 本当にお疲れさまでした。 できれば今後はホークスで先発左腕の後継者を どんどん育てていってほしいです! それでは、今日はここまで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年11月05日 22時07分34秒
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