太陽の目2014.12.03矢来町 posted by (C)あっこ森
父は手を上げる、たちだった。
弟は手を上げる、たちだった。
弟から身を守るため、反撃するべく
叩いたり蹴ったりするんだけれど
そうすると、やっぱり同じ数だけ…またはそれ以上に
返ってきて痛い思いをするのは、結局自分。
父が、叱るとき、(怒っていたのかも)
どうして言葉で伝えられないのか、
疑問だった。
手を上げて従わせた、つもりでも
心まで、従わせることは、たぶん
簡単にはできない。
というか、かえって遠ざける、ことのほうが多いかも。
大切さを感じられなくっちゃ。
子どものころ、
お友だちが、怒って喧嘩をしているのを見ていて
なぜ暴力に訴えるのか、不思議で仕方なかった。
その方法で、相手を変えることが
ほんとうにできると思っているのだろうか。
大概が叩き合いになって、
どっちも結局は悪いことになって
もともとの問題は解決しないまま
ゴメンネ、だけさせられることになる、ことが多い。
なのに、なんで叩きあったりするんだろう…。
なんか痛いし泣くし、怪我するし、問題解決しないし
非効率って思ってた。
そんなふうに思っていた子ども時代。
「あっこぉは、本気で怒ったことあるの?」
子どもたちに聞かれる。
怒りの感情は、あるけれど、
怒りをあらわにすることは少ないかも…。
そればかりを見せるだけじゃあ、心に届くとは思えないからね。
鉛筆を投げて暴れる子どもをガシッと押さえる私。
脳が興奮していて頭がカッカしている。
子どもの頃から、なんで暴力に訴えるのか
不思議でならない行為なんだよ。
もちろん学校とか本とかでは、
「言葉が未発達の児童は、うまく言葉にすることができず
手が出やすい…。云々…。」
というようなことは習うんだけれど。
やられたらやりかえせ根性が…わからない。
悔しさは、もちろんわかるんだけれど。
どこに悔しさを感じているのか。
相手とおんなじ手法をとったら
矛盾が生まれて、そもそも訴えがなんか変。
悔しさは、どうしたら乗り越えられるのか…
問題はなにか。
そうやって労力を割いていたいんだよなぁ。
理屈で責めても、、、
うまくいくことばかりではないから
結局は、悔しくて泣いていたけれど。
なんで、殴れるんだろう…。
猫 posted by (C)あっこ森
写真は12月3日に矢来町にて撮影しました。
東京在住、
撮影は自宅から自転車で行った場所が中心です。
ごく身近な自然に目を向けています。
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