カテゴリ:美術館博物館
2024/10/15 今年は文永の役からちょうど750年の節目だそう。『遺跡発掘師は笑わない』でも取り上げられていた元寇の船、水中考古学!ということで見に行きました。 第二次世界大戦末期、フランス海軍がアクアラング式潜水装置を開発、戦後様々な水中作業に用いられるようになり、水中に眠る遺物の発掘にも使われるようになった。 水中遺跡とは、常時又は満水時に水中にある遺跡のこと。 水中作業時の道具などが展示してありました。 水中で書ける紙とか、筆記用具は浮かんでしまうから紐で縛るとか消しゴムは沈むから手袋の中に入れておくとか、ていうか水中で実測図描いちゃうんだ〜すげぇなぁとか。 そして使ってる手袋が三本の指先がないやつで、私が倉庫作業で使ってるやつだ!とちょっと親近感を覚えたのでした。 長崎と佐賀県境に位置する伊万里湾は天候が悪化した際の船の避難場所になっているところだそう。湾内では魚網に中国陶磁器が入ることがあったり、鷹島にはモンゴル襲来の言い伝えが残されていることから、元寇船が沈んでいるのではないかと1980年代以降本格調査が始まる。 <管軍総把印>1974年地元の方が海岸で貝掘り中に発見。調査したところ印面はモンゴルのパスパ文字で「管軍総把印」と書いてある。裏面には年号も記されていて、元軍部隊の役職を示す公印、弘安の役の時に水中に没したと考えられる。 <てつはう>『蒙古襲来絵詞』に描かれた「てつはう」がこれ!教科書で見たやつだ! 球状の土製品?鉄じゃなくて焼物だったとは。CT画像で、中には鉄片、陶器片、木片などが詰まっていて、火薬で爆発させるとそれらが飛び散るようになってたらしい。 上<陶器壺・白磁碗・天目碗>南宋は喫茶の文化があったので、船内でお茶を飲んでいたかもしれない 左下<青玉製雌雄鹿像(冠帽飾)>モンゴル族の有力者は冠帽に玉製品の飾りをつける風習があった 右下<青銅製匙>匙を使って食事をするのは高麗の人々の習慣。高麗からの東路軍軍船の存在の可能性がある <元軍船(復元模型1/10)>床面に木製いかりの原寸復元平面図が!長さおよそ8m! 実際に残っていた部分は先の方3mほど。2013年に確認され、2022年に海から引き上げ、トレハロースで保存処理をしている。トレハロースって保存処理にも使えるのか!なんかすごい。 鷹島1号・2号沈没船は施設や費用の問題から引き上げは難しく、現地で埋め戻し保存されている。 図録と本も購入。『遺跡発掘師は笑わない』も読み返そう。 ってもういつ読むんだよ。 そして常設展示へ。 特集展示で青銅器の最新研究なんてのがあった。弥生時代に作られた青銅器の原料は成分分析の結果、中国や韓半島から輸入されていたそう。なかなか見られない銅鐸の中。 縄文原体標本の引き出しを開けてたら、これちょっとすごい文様になってるんだけど、同じように糸を撚れって言われたら私には無理w縄文人、楽しそうだな。 この間、かはくのディスカバリートークで話していたオオツタノハ貝の貝輪製作遺跡、ココマ遺跡だ。そうかここにあったのか。 私の大好きな縄文土器、相変わらずいい形と文様。惚れ惚れする。 埴輪の皆さんと陶棺も。 という感じで滞在時間、2時間ほどでした。 國學院大學博物館 ミュージアムトーク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.10.19 15:45:56
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