入院中に考えたこと2
入院中、多発性硬化症にかかった自分について考えた。端的には、「自分の人生て何なのだろう」となる。人はやがて死ぬと思えばそれまでだが、それが自分だと考えるとやり切れない。明日、或いは近いうちに死ぬのなら、仮に「なぜ生きるのか」について理解が深まっても無駄な気がした。それどころか、今まで自分のしてきたこと、自分が得てきたこと(知識や技能など)が、病気の前で無力であることに気付かされ、嫌になった。この病気に対する恐怖が強かったせいもあるが、今まで自分のしてきたことに何の意味があるのか、疑問に思えてきた。勿論、多発性硬化症は難病だが、すぐに命がどうこうなる病気ではない。だから、考えすぎと言えば考えすぎだ。まあ、しかし、こういう機会がないとじっくりと考えないのも事実だ。結局、最後には、こう考えるようになった。「より多くのことを知ったほうが、より多くのことを身に付けた方が、やがて死ぬとしても、その方が人生が豊かだ」以前、「僕の生きる道」というドラマがあったが、その中で「もし、明日、私が死ぬとしても、私は今日、林檎の木を植える」というような台詞があった。今、それを思い出しながら書いている。左手を中心に残る痺れ、2日に一度のベタフェロン。病気を治すとはいかないが、気持ちで病気に負けなくなった勲章だと思えば悪くない。