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読了。
久しぶりに(いや、初めてだ、こんなことは)本を読んで鳥肌が立った。不思議な物語は、大きな謎をいくつも残したまま、不思議な余韻とともに終わった。 最後の3ページを何度も読み返し、余韻に耽っていた。 すばらしい。博士の愛した数式もよかったけど、これはそれを越えるね。 ~ 物語の舞台はとある「島」。この島では、物が生まれるよりも消えていくスピードのほうがはるかに速い。。。「消滅」というその現象は、何の前触れもなく人々の記憶から物をさらっていく。「消滅」したものを、人々は思い出すことができない。あるときは地図が消え、またあるときは船が消え(この船の「消滅」で人々は外界とのつながりがなくなった)…とにかくある日突然人々の記憶から「消滅」し、島の中は空洞で埋まっていく。 しかし、「消滅」を免れる人もいた。それがなぜ免れているのかはわからないが、とにかく「消滅」を受け入れない。 そういう人たち(というよりも消えてしまった記憶そのもの)は、「支配する側の人間」にとって不都合であるらしく、「秘密警察」と呼ばれる人たちによって「記憶狩り」が日夜行われていた。 小説家の主人公の担当の編集者もまたそういう人であるらしく、主人公によってかくまわれることとなる。 何年も前に消えてしまった「フェリー」で仕事をしていた親戚同様のおじいさんとともに家に隠し部屋を作り秘密警察から逃れていた。 (ここから先は結末まで突っ切るのでネタばれヤな人は止めといたください。) あるとき、「小説」が消え、主人公は小説が書けなくなる。。。編集者の「彼」は書き続けることを勧めたが、記憶から消えてしまったものを扱うのは容易ではないし、消えてしまった小説を書きつづけるのは苦痛でしかないのだが。。。 ある日、「左足」が消滅する。人々の記憶からは左足の存在は消えうせ、朝起きると左足は「ただ腰からぶら下がっているよくわからないもの」になっている。人々にはそれがなんだか分からない。しかし「本」や「花」などのように処分することもできず戸惑うが、しょうがないのでわからないままそほったらかしにしておく。 そのうち右手が消え、頬が消え、体が消え…最後には「声」だけが残る。 その「声」も次第にかすれ、最後には消えてしまう。。。 そして「彼」は外の世界へと出て行く。。。。。。 ~ 最後の1文を読んで、鳥肌が立った。危うく涙を流すところだった。本を読んで感動することはあっても、ここまでのは初めてだ。 ちなみに。 もし、この文章で、「この話怖そうだな」と思う方がいたら、それは俺の表現力が足りてないだけです。小川洋子の文章は、とても温かく、出てくる人々の何気ない一言、何気ないしぐさの一つ一つから人間の息遣いのようなものが感じられて、色でたとえるならオレンジ色のような、あるだけで温かさが伝わってくる、そんな文章です。正直ほっとします。 本屋に、「セカチューにいまいちハマれなかった人が泣ける本」という立て札が立っていた。なるほど。俺はセカチューもなかなか、と思ったけどこっちのがいい。セカチューはただの「いい話」だけど、こっちは「泣きそうになるくらいいい話」だったからね。 話の結末まで書いた後でなんだけど、一読をお勧めします。大いに。 さて、また本を買った。 こんどは、岩城宏之という指揮者のエッセイだ。「指揮のレッスン」という本だ。別にまじめに指揮のレッスンをする本ではない(アタリマエ)。指揮者という職業について、レッスン調で岩城氏が実体験などを書き連ねている、まさしくエッセイだ。 これももう帰りの電車で半分以上読んじゃったから、明日の日記には感想が並ぶなこりゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年09月08日 23時55分50秒
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