カテゴリ:両親
父の通夜と告別式が、この土曜日と日曜日に執り行われました。
来てくださったお一人お一人、また、都合が悪くお香典だけ 頂戴した方など、本当に心から感謝申し上げます。 今、ようやくひとつの大仕事が終わったという感じです。 数日遡りますが、父の最期から告別式までを記しておきたいと 思います。 ----- 11/7(月)に先生から父の容態の説明がありました。 下血をしてしまってひどい貧血状態の為に血圧が下がっていて、 自分の力で血を作る力が弱くなっており、今できる最善の策は 輸血しかないという事でした。 今の日本の法律では輸血は家族の承諾がないとできない為、 承諾書にサインし、すでに手配して待機していた輸血を すぐに始めて頂きました。 11/8(火)朝8時頃、病院から電話があり、 「容態が悪いので今日は早目に来ていただけますか?」との事。 まだ出勤前だった夫は会社を休んでくれ、夫の母も一緒に行って くれるとの事で、3人で病院へ飛んでいきました。 説明によると、いつもだいたい100ぐらいはある脈拍が、 今は60ぐらいに落ちてしまって、いつも高い数値 (薬で高くしている)を、ずっと維持していた父にしては、 いきなり低い状態に。 昨日の夜は、兄に会社帰りに寄ってもらって、父の容態を 聞いてもらっていたのですが、その時は輸血後はしばらく 落ち着いていた様です。 しかしその後、朝方にかけてまた下血してしまい、 ほとんど輸血の効果が得られなかった状態になってしまった そうです。 検便の結果もちょうど出ていて、どうやら腸からの出血が あったようです。 血圧を上げる薬を最大限まであげ、今できうる処置を目一杯に 施してくれました。 その後はずっと父の手を握っていました。 正直まだこのときは、なんとか持ち直すか、もし悪くなると しても、夜、兄が帰ってきて、なんとか今日も兄と会えるだろうと 思っていました。 でも、モニターの心拍数が、気がつくと少しずつ少しずつ 50台、40台…と数字が落ちて行き始めました。 食い入るように見ながら、「お父さん!頑張れ、頑張れ!」と 言う事しかできませんでした。 加速するようにほとんど20台になってしまったと思ったと同時に、 ナースステーションでモニターを見守っていた先生と看護師さんが 駆け寄ってきました。 とうとう、モニターが10台の数字…。 そして、0…。 最後は、先生が父の胸にそっと聴診器を当てて、直接心音を 確認しました。 「心音が確認できなくなりました。」と言い、腕時計を見て、 「平成17年11月8日、午後12時47分で死亡と判断させて 頂きます。」と言って、深々とお辞儀をして下さいました。 私たちも深くお辞儀をし、その後私はすぐに父の両肩に手を乗せ、 「お父さん!お父さん、よく頑張ったね。お疲れ様だったね。 偉いよ、最後まで頑張ったねお父さん。」 と泣きじゃくりながら、たくさん褒めてあげました。 そして、「お父さん、私を生んでくれて、ありがとうね。」と 言いました。 次男の兄と息子が到着し、病室で父と面会。 兄は父の頬にやさしく手を触れながら、「おやじ。お疲れ様。」 と言ってくれました。 その後、身体をきれいにしてもらうため、いったん外へ出て 待っている間に、長男の兄も到着。 私からこれまでの説明をして、うんうんと頷いて聞いてくれ ました。しばらくの沈黙の後、涙ぐんだ声で、 「よく頑張ったよ。おっとさん。」と言って下を向いて、 テーブルの上に載せていた両手をぎゅっと組んで握りしめて いました。 すべてのチューブ類を抜いてもらって、きれいな身体に してもらって新しい寝巻きを着せてもらった父と、一緒に エレベータで安置室へ移動。長男の兄はそこで父と面会。 私は、父の顔に乗せられた白い布をそっと開き、父の頬に キスしました。 小さい頃は、父の出勤前には必ずほっぺにキスして見送って いました。久しぶりのキスです。喜んでくれたでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月11日 08時07分39秒
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