カテゴリ:両親
しばらくして葬儀屋さんが到着し、みなで車で実家へ帰りました。
次々に、近所で付き合いの深い皆さんが父に会いに来て くれました。 突然の訃報に本当にびっくりして涙ぐみながらも、みな口々に 「お父さん、幸せものだぁ。お母さん独り占めできて、最後は 大好きな娘に看取ってもらって。」と言ってくれ、父の安らかな 顔を見て、「なんてきれいな顔なの。肌がつやつやで、今にも 起きそうな、ただ寝てるだけみたい。」と言ってくれました。 私にも、「毎日よく、頑張ったね。お父さん、幸せだよ。 こんなにやってくれる娘いないよ。思い残すこと何もないよ。」 と言ってくれました。 母も、まだ倒れる前、「お母さんは、お父さんには尽くしきった からね。お父さんには思い残すこと、何もない!」と言っていた ので、それもとても救いです。 斎場と暦の関係で、11/12(土)が通夜、翌日告別式となり、 それまで丸3日間の日にちができました。 1日や2日というのはよく聞きますが、3日間というのは めずらしいと思います。 おうちが大好きだった父。 でも去年、脳梗塞で倒れてからはとうとう1日も家に帰ることが できませんでした。なので通夜まで丸3日間は、斎場には 預けないでずっと実家に寝せてあげ、思う存分に久しぶりの おうちを堪能させてあげる事にしました。 家での3日間は、父が大好きだったテレビをつけてあげたり、 お酒やお茶を口につけてあげたり、私の夫は日本酒を片手に 夜中まで父に語りかけてくれたり、父が気に入っていた近くの パン屋さんで、父が好きだったサンドイッチを買ってきて枕元に あげたり…。 兄と交代で泊り込んで、さすがに最初の日はいろんな想いが めぐってしまって一睡もできなかったのですが、最後のほうは だいぶ慣れてきて、兄は「おっとさんの頭の向きが違う以外は、 なんだかいつもの正月と変わらないね。」なんて言う程でした。 父にとっても、あぁ、やっといつものおうちに帰ってきた、という 感じで、きっとホッとして堪能してくれた事と思います。 2日目には、長女の姉夫婦が新潟から到着。 なんと、兄弟4人が揃うのは生まれて初めてです。 姉は私とは20歳以上離れていて、私が生まれたときはもう 結婚して家を出ていました。新潟でペンションをやっている為、 お盆や正月などの集まりには1回も顔を出すことができず、 私と会ったことがあるのも、30年前に一度来たときだけ。 姉は第一声で、「力になれない長女でごめんなさい。」と 私に言い、私はそんなことないです、と首を振りました。 私は、お父さんの顔の布をそっと取り、「初めて全員が揃ったよ。 しかも、おうちで。夢のようだね。よかったね。」と言いました。 お父さんに話しかけると、どうしても泣いてしまいます。 姉は、泣かないでと言ってくれました。 今日もとんぼ帰りしなければならず、また今度、子供達を連れて あらためて来ます、と何度も言ってくれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月11日 08時07分59秒
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