カテゴリ:両親
北海道から、母の親戚もかけつけてくれました。
父の出棺の時間に間に合って、自宅から一緒に出棺を 見送ってくれました。 実家の近所に、まだ出来て1~2年ほどの新しい 大きな斎場があり、そちらで葬儀を行いました。 とても大きくて立派なきれいな斎場で、とてもびっくり。 こんなにきれいな所で最後を見送ることができるなんて、 夢のようです。 お父さんもきっと満足してくれたことと思います。 通夜と告別式には、本当にたくさんの方に来ていただき ました。本当にとても幸せです。 私が小さい頃から知っている近所のおばちゃんや おじちゃん達の顔、いつも励ましてくれた友人達の顔…。 知っている顔を見ると、涙があふれ出てしまいます。 近所の方達以外の父の友人が分からず、頼りは年賀状。 父宛に年賀状をいただいていた方にだけ、取り急ぎ ご連絡をさせて頂いたのですが、その中に、父が会社勤めを していた時の同僚の方で、今は独立して神戸で会社を 経営している方がおり、なんと神戸から埼玉まで、 父の通夜だけの為に、ご夫婦で駆けつけて下さいました。 どうしても明日は外せない用があって、神戸にとんぼ返り しなくてはならず、告別式に出られなくて申し訳ありません、 とおっしゃって下さいました。私はとんでもないです、と 言いながら何度も何度もお礼を言いました。 ご友人でまさかそんなに遠くからかけつけて下さったなんて、 本当に本当に感激です。 そんな温かいご友人に会え、最後を見守られて、本当に 父は幸せ者です。 親族は斎場に一緒に寝泊りをするのですが、そこで いろんな思い出を語り合ったりしながら、とても心温まる 通夜の夜でした。 北海道の親戚も、来てよかったと言ってくれて、みんなで、 お父さんがみんなを会わせてくれたんだね、と喜び合いました。 寝る前に、もう一度祭壇の前の父の所に。 「お父さんのおかげでみんな会えて喜んでるよ。よかったね。」 と言い、「今日で最後の夜だね。 …おやすみ。」と言いました。 翌日の告別式。お天気もよく、すがすがしい空気の中、 式が始まりました。 父の意思のもと、仏教の友人葬という式で、友人のみなさん によるお題目で、父を送り出して下さいました。 私は、お題目をあげると、いつも泣きながらお題目をあげていた 日々を思い出してしまうせいか、涙が滝のようにあふれ出て しまいます。 もう、これ以上悲しむことはないんだよね、いいよね、今日は 思い切り泣かせてね。お父さん…。 式も刻々と進み、とうとう父との最後の顔合わせとなりました。 みんなに、たくさんのおしきみとお花を棺に入れてもらって、 父の身体のまわりは、まるで花畑のよう。幸せです。 斎場内にある火葬ホールの方へ、父の後を並んで行きました。 これで本当に最後の最後のお見送り。 扉の中に父の棺が入って行き、私はたまらず、たぶん人生で 一番の号泣をしました。 約1時間ほどが過ぎ、火葬が終わりました。 私と2人の兄で、再び火葬の扉の所へ案内されました。 出てきた父は、すっかりきれいに骨だけになり、ここが頭で、 ここが顔、ここが腰骨でここが足です、と説明して下さいました。 父はとても身長が高く、形がしっかりきれいに残っている骨が とても多かったです。 私は、収骨のときもどうなるかと思っていましたが、思ったよりも だいぶ落ち着いていて、よく78年間、身体の中でがんばって たんだなぁという思いの方が強かったように思います。 親族みなで、父の遺骨と位牌、写真と一緒に、実家へ帰宅。 仏壇の前に並べて、みなでお線香をあげました。 父の写真は、私の結婚式の時のスナップ写真から作って くれたのですが、とてもとても優しいほほえみの顔です。 みんな、いい写真だねぇと言ってくれました。 ずっとここ1年間は、病気と戦っている顔ばかり見ていたので、 その写真を見るとなんだかホッとします。 こんな顔を残してくれてありがとう、お父さん。 お父さんも、みんなに会えて、きっと喜んでいることでしょう。 そして、みなに温かく包まれて見送っていただくことができて、 最後の最後まで幸せ者です。 ブログでも、いろんな方に励ましのお言葉を頂き、本当に いつもいつも心強かったです。心から感謝申し上げます。 今度は母が、お父さんの分まで頑張る番です。 今、一生懸命に目を覚まそうと奮闘中です。 必ず目が覚める日を信じて、これからも毎日言葉を かけ続けていきます。 本当に、本当に、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月11日 08時12分07秒
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