カテゴリ:思ったこと
父が亡くなってから2週間が経ち、今日で二七日忌(ふたなのか)
です。 甘党の父だったので、和菓子とお茶をお供えして、追善供養の お題目を送りました。 驚くことに、私が生まれてこの方、身近な親族で亡くなった人 というのがいなくて、日にちの数え方も初めて知りました。 一週間毎に、初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)…と 数えていって、七週目の七七日忌がいわゆる四十九日なのですね。 でも実は仏教では、「この日に供養しなさい」という決まりは 元々無いそうで、このような回忌法要というのはあくまで”風習” だそうです。(*1) なので、法事はやるのもやらないのも自由のようなのですが、 分かりやすい節目の日に集まって供養する、というのは 父への感謝の表れにもなるし、人間らしい気持ちからのもの だと思うので、我が家では四十九日は兄弟家族で集まろうと 思っています。 今回このような経験をして、日本の葬儀の風習についても いろいろ勉強しました。 仏教の場合の結論で言ってしまうと、お葬式のときにお寺から お坊さんを呼んで、お経をあげてもらうというのも、仏教の 教えによるものではなく、日本の習慣によるものだそうです。 葬式をしたから仏になるのではなく、あくまでも本人の生前の 信心によって成仏が決まるといのが仏教本来の考えです。 ましてや、僧侶に大金を払わないと成仏できないなんていう事は 一切ありません。 もし大金が必要だとしたら、お金持ちの人は、生前どんな悪事を 働いていたとしても、最後にお坊さんに大金を払えば成仏できる という事になるし、逆に、地道にコツコツ生きてきて周りの人達に たくさんの貢献をしてきたけどお金はないという人が、もし最後に お金を払えなかったら成仏できない、という事になってしまいます。 特に戒名については、よく「もう1ランク上の名前だとあと10万円 かかります」とかいう話を聞いたことがありますが、お金で位が 買えるなんて、道徳的に考えてもそんなのおかしな話です。(*2) 葬儀や法事というのは今まで縁遠い世界だったので、調べるほどに へぇ~という事ばかりです。 大切なのは、残された私達からの温かい真心ということですね。 いろいろ勉強になります。 (*1)初七日から四十九日までの七日ごとの区切り …インドの中陰思想に基づくもの 百箇日、一周忌、三回忌等の法要 …中国の風習を仏教が取り入れたもの 七回忌以降の法要 …日本仏教において次第に増えていったもの (*2)「死後戒名」が定着したのは江戸時代の寺請制度からで、 庶民は住職にキリシタンでないことを証明してもらう為に 仏教の「死後戒名」をもらうことが不可欠となり一気に普及。 やがて、少しでも立派な戒名をもらうことが社会的にも 価値あることとされるようになり、僧侶の側も戒名を “商品”とみなし、供養の額によって戒名の“ランク”が つきはじめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月11日 09時31分52秒
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