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もりぴぃのぺんぺん草ノート

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2006年02月15日
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カテゴリ:両親
今日は、父が亡くなってからちょうど百日忌。
お線香をあげに実家に行き、追善供養のお題目をおくりました。

私の両親は根っからの仏教徒で、私もそんな環境で育ちました。
一口に仏教といってもその教えは膨大で、私はまだまだ知らない事だらけ
なのですが、私が知っている数少ない中で、

「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
  …さまざまな事を学ぶ前に、一番最初に臨終の事を学ぶべきである

という言葉があります。
学ぶとまではいかないと思いますが、今日は百日忌ということもあり、
臨終についてちょっとだけ考えてみたりしました。


これまで出合ったいろんな患者さんの中の、ある一人のおばあちゃん。

看護師さんとちゃんと会話はできるので意識はしっかりしているのですが、
いつも「苦しい!殺して!私を殺してくれ!」、「死んじゃう!助けて!」
と叫んでいるのです。

殺してくれと願っている一方、死への恐怖の思い。
それを聞くと、いつもとても切ない気持ちになり、でも何もしてあげることが
できない自分がイヤになったり…。

「死」は誰でも怖いし、できれば近づきたくないがゆえに、死について
深く考えるという事を、つい避けてしまいます。
でも、どんな人でも必ずいつか「死」を迎えるんですよね。
たぶん、このおばあちゃんは、「死」について考えるという事から
ずっと逃げ続けてきた人生だったのではないでしょうか。

私の父は、まだなんとか言葉もしゃべれた時期の頃、病院を移ることを
説明したときに、「おまえがそれでいいんだったら、いいよ」と
一言、ポツリと言いました。

その言葉に込められているものは、「お父さんの残りの人生は、おまえ
に任せたよ。おまえの好きなようにしてくれることが、お父さんに
とっての幸せだから」という思い。

- 残りの人生は、すべて、おまえに託す。-

私はこの言葉を思い出すたび、涙があふれます。
そして、自分はもう残りわずかだと悟っている父の深い覚悟に、ただただ
頭が下がる思いです。

母も、今は意思の疎通を図ることはできませんが、1回目に倒れた一昨年、
まだ意識がもうろうとして自分の名前さえ言えない状態であるにも
かかわらず、いつもお父さんや私や兄の心配ばかりうわ言で言っていました。
たとえ自分はどうなっても、人の心配ばかりしている、慈愛あふれる
どこまでも優しい優しい母-。

臨終は人生の最終章。
その人の、何十年と生きてきた人生の集大成が、すべてそこに現れると
いいます。

最後は潔くどんなことでも受け入れられるような、ゆったりと大きな
気持ちのもてる人間になるには、1日1日を悔いのないように生きる、という
ことなのでしょうね。





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最終更新日  2022年06月11日 08時19分46秒
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