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生徒にとっては「夏休み」、僕にとっては「夏働き」真っ最中です。それでも、授業がないというのは体(神経)は楽です。
さて、昨日の地元紙「○野新聞」社説に、「今からでも遅くないから小学校高学年の英語活動をやめて、国語の授業を増やすべきだ」という社説が掲載されていました。県の教育会の調査の結果から、幼稚園生~高校生の言語力が低下していることがわかった、というのがその背景にあります。「国際人の育成もいいが、このままでは肝心の日本人が居なくなってしまう」(この言い方はなかなかしゃれていていいですね)、という主張です。 再三ここで書いているように、僕の立場ははっきりしていますから繰り返しません。一言言うなら「始める前に言ってくれ」。それはそうでしょう。だって、日常生活の中でただでさえ字を書いたり本を読んだり、人と話をしたりする時間が激減しているのに、肝心の先生が「ハロー」なんてやってるんですから、子どもが日本語を使う環境は悪くなるに決まっています。 先日、隣の小学校で高学年の英語活動の公開授業がありました。同僚の英語の先生が、感想を求められたときに(何の考えもなしに)「今日やったこと、子どもたちは中学に来るときには覚えてないでしょうね」と言っちゃったそうです小学校の英語活動のねらいは「英語に親しむ」ことが第一だそうですので、楽しければいいのかもしれませんが、「貴重な時間とエネルギーを割かなくてはならない小学校の先生には同上を禁じ得ません(僕もこの前まで小学校の先生でしたが、そう考えると中学校に来て幸運だったかもしれません)。なお、同僚の先生の何気ない一言の後、会議は凍り付いたそうです なぜこんな話題を出したか?僕らの身の回りで、「そんなのやる前から分かってた」という「研究」と称する壮大な時間と費用の浪費がまかり通り、それによってどれほど多くの先生たちが消耗しているかを痛切に感じるからです。例えば数年前まで「学力向上フロンティア」校なる学校が指定され、盛んに発表が行われましたが、結論は「補習」と「少人数指導」をすれば学力が上がるという、やる前から分かっていたものがほとんどでした。逆に言えば、なぜその程度のものすら学校はやってこなかったのか、あるいはできないのかという検証の方が大事なような気がします。 筆の勢いに任せて書きたい放題ですが(笑)来年度からその「研究」に携わらなければならないような情勢になってきました。今度は「裁かれる」番になるでしょう。そんなこともあり、今年の夏は猛烈に忙しいのです。 でも、菅平には間違いなく行くんですけどね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.02 21:48:17
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