出口が見えない
久しぶりの日記です。なんだか今日は気分が沈み込んでいて何もする気になれない。朝から好きな人の声を聞かせてもらって、私もいっぱい話を聞いてもらって・・・いつもなら元気になれるはずなのに・・・本当は京都駅前に出かけて本屋さんに行ったりお土産コーナーに行ったりしてぶらぶらしてみようかななんて思っていたのに今にも雨が降り出しそうな空を見た途端、急に気分が沈みこんでしまった。そのうちウトウト昼寝をしてしまっていたら・・・お鍋を火にかけていたことをすっかり忘れてしまっていて焦げ付いた臭いで目が覚めた。お鍋は真っ黒に焦げ付いてしまった。昔から鍋ややかんを焦がすのは得意?だったけれども最近はますますひどくなってきている気がする。今、とっても息苦しい気がする。主人が病気になったあの日から暗闇の中をさまよい続けている気がする。でも主人が生きていてくれたころは病気を治して元気になって元の生活に戻ろうと二人で頑張る目標をもつことができていたから何とか頑張ってこられたけれども・・・2002年に主人が旅立ってからはこの暗闇のトンネルの中で出口を見つけられずにもがき続けている。いろいろなことを試してみた。もちろん仕事も探して仕事も始めたけれども体力が付いていかずにすぐにダウンしてしまった。情けなかった。主人が私の作ったドールを可愛いとほめてくれたことを思い出していろいろなものを作り始めた。作っているときは夢中になって不安なことを忘れることができるけれども・・・またすぐに不安感が襲ってくる。病院で処方された薬を飲んだら不安感は少し取り除かれたけれどもあらゆることがどうでもよくなってきてお金の使い方がわからなくなって買い物依存症になってしまった。好きな人と再会することができたおかげで買い物もやめることができ、少し元気になれた気がしてたけれども・・・またその人とも会えなくなるかもしれないと思うと毎日不安でたまらない。もしも今私が事故や急病で死んでしまったら・・・子供たちはどうなるのだろう?病気の母はどうなるのだろう?子供たちのことは主人の両親が何とかしてくれるかもしれないし母のことはほかの兄弟が何とかしてくれると思うけれども・・・それなら誰もがわかるように預金関係のことや保険関係のことなど・・・整理しておかないといけないというプレッシャーに襲われている。もうこのトンネルに入ってしまって10年以上の時間が流れているというのに出口に向かう方向すらわからなくなってきている。主人は3年2か月で先に出口を見つけて逝ってしまった。「死んでからのことまでは自分にはわからない」と言っていた。生きていたくても死ななくてはならなかった主人の気持ちを考えるとそんなことを思ったらいけないのかもしれないけれども・・・「無責任だ」と思ってしまった。久しぶりに大きな不安感が襲ってきた。明日は元気で過ごせたらいいのにな・・・