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私のカラダ、私のアタマ、私のココロ、長~い付き合いなのに どれもこれも何ともならず、もがく日々ですが、 自分が大切じゃない人なんていないんじゃなかろうか、と考えたりしています。
人の営みは全て、生きていくため、自分を守るための表現方法なのかもしれない。 まぁとにかく、気づくと自分が一番大事になっている私にとって、 週に2度の寺子屋での論語の素読は、古からの言葉を聴いて、 今自分は、どこにいて、どこを向いているのかを確かめる時間になりつつあります。
昨日の論語 「子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行なう可き者有りや。 子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。」(論語衛霊公15-24)
「自分がして欲しくないことは、人にもしない」という論語に対して、 聖書のルカ伝第6章31には、 「人にしてほしいと思うように、人にもしなさい。」とあるそうです。 (『子供と声を出して読みたい「論語」百章』岩越豊雄著 致知出版社 より) 東洋と西洋の文化の違いが出ていて、面白いなと思いました。 このふたつのさじ加減って、同じことのようで実はとっても難しいことですね。
~寺子屋風景~ 学校以外の場で顔を合わせると、何でだか嬉しいんだね。 久しぶりにたくさん集って、勉強どころじゃなくて大騒ぎ。 この子達、いつまで喜びを「じゃれ合う」というカタチで表現するんだろ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.09.15 10:03:29
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