昨日は親父の23回忌で、知多へ戻りました。
まず、岡田の慈雲寺でお経をあげてもらいました。
改装なった本堂の前で記念写真。私は養子に出たので、弟が一応主催者になっています。母はもう93歳で、足が弱くなったので、車椅子に乗せて連れてきました。兄弟10人のうち、7人が揃いました。
その後、お寺の裏山でお墓参り。高くて階段もあるので、母の車椅子は二人がかりで担ぎ上げました。お墓の前で母が子供のように大きな声で泣いていました。足が弱くなってから何年もお墓に来ていなかったからです。
それから在所へ行きました。女房とは保育園・小学校の同級生ですから在所もすぐ近くです。
それから座敷でみんな揃ってお食事です。昔話に花が咲きます。皆、携帯の待ち受け画面の孫の写真を見せ合ったりしてました。
女房がアカペラで”千の風になって”を歌いました。架かっている写真右が親父です。左は先妻さんです。上6人が女ばかりで先妻さんの子供です。
これは親父の若いころの写真です。みんなが私に似ているというんですが、・・・。
親父は明治28年生まれ、今生きていれば113歳です。第一次大戦のとき、ロシア革命が起きて、日本はシベリアに出兵しました。そのときに騎兵隊で満州を走り回っていたようです。
さて、妹(美ん美んさん)が法事の準備で片付けていたら、昔の私の作品が2つ出てきました。リクエストがありますので、お見せします。
まず、これが私が岡田小学校1年のときに描いた絵らしいです。描いたことは忘れてしまいましたが、家のすぐ上の麦畑でよく凧揚げをしていたのは憶えています。そのころの凧は四角いのと、扇子凧と蝉凧というのがありました。凧も竹を切って作っていたような気がします。
もうひとつはこれです。幼馴染のデザイナーになった2年上のM君と二人でガリ版刷りで作りました。前半と発刊にあたってはM君が、後半と終わりにあたってを私が書いています。発案は私がしたようです。M君が原本の日焼けもそのままにコピーを作ってくれました。
岡田の蝶として31種類が載っていました。その後新たに見つかったものを入れると40種類くらいになるのですが、・・・。
作ったときは中学2年、何処へ行くにも網を持っていました。
美ん美んさんがオオフサモを池に植えたいというので、西田川から少し採って持っていったら、庭に置いてある甕にあるじゃないですかしかもミミカキグサまでおまけに生えていた。
庭にある池ではよくザリガニ釣りをしましたが、まだザリガニがいっぱいいました。
今日は、朝3時に起きて、更新してから長谷村へ行こうと思ったらいきなり楽天がメンテナンスに入って、帰ってからの更新になりました。