昨日は名古屋で高橋昭先生のご講演を拝聴に行きました。名古屋昆虫同好会(名昆)という会の総会でした。昆虫ですから蝶だけではありませんが蝶屋が一番多いです。
講演のタイトルは「東海地方の蝶、その変遷」という先生の70年近くにわたる蝶採集記録の集大成でした。
先生の偉いのは採集だけではなく、その時の天候や行程を細かく記録して見えたことで、1950年代の採集記録と2000年以後の採集記録を比較して、愛知県、名古屋市から消えていった蝶について話をされました。
ギフチョウ、ヒメヒカゲ、シルヴィアシジミ、ゴマシジミ、チャマダラセセリ、ウラナミジャノメ、ヒョウモンモドキなどについて話をされました。
中でも私が一番関心があったのは、シルヴィアシジミが愛知県から消えたということです。
シルヴィアシジミは1881年にFentonが栃木県で発見して、1922年に中原和郎(わろう)が Z. sylvia と命名したそうです。奥さんがアメリカ人で sylvia は娘さんの名前だそうで、シルビアシジミではなく、シルヴィアシジミと書くのが正しいそうです。
愛知県で初めて採集されたのは安藤 尚が1950年に採集したそうです。
そして、そのすぐ後に、高橋先生と安藤は祖父江町から津島町まで木曽川右岸を調査して歩き、シルヴィアシジミの多産を確認されています。翌年同じところで高橋先生と氷室はミヤコグサから幼虫と卵を多数確認しています。
その後、知多半島、瀬戸市などでも記録がありますが、はっきりとしたものでは1961年の瀬戸市での採集記録が愛知県におけるシルヴィアシジミの最後の記録であるとのことです。
なぜシルヴィアシジミが愛知県から消えたのかについては後から質問も出ましたが、その後最近同じ木曽川堤を歩いたところミヤコグサそのものがまったく確認できなかったということです。一緒に当時歩いた氷室先生も来てみえましたが、氷室先生はミヤコグサではなくコマツナギで飼育することに成功したとの話もあり、また別のところではシロツメクサにも発生したとの報告もあるそうですが、やはりミヤコグサがなくなったことが一番の原因であるようです。
それではミヤコグサがなぜなくなったかですが、昔は田圃があったり、定期的に雑木林を伐採したりでミヤコグサが生える環境があったのが、今では田圃も少なくなったり、雑木林も放置して木が大きくなりすぎて日が当たらなくなり、ミヤコグサの生える環境がなくなってしまったのが原因のようです。
自然は全く放置されても植生が変わってしまうということのようです。
終わってから”世界の山ちゃん”丸の内店で懇親会がありました。