テーマ:トライアスロン(1083)
カテゴリ:トライアスロン
JTUメディカル委員会はトライアスロンをメディカル面からサポートするのが仕事ですが、大会での重大事故の原因究明とその対策を考えるのも重要な仕事です。10年ほど前に、大会で起こった重大事故を纏めてその原因を考察しました。近年では4年前から毎年3月のフォーラムで死亡事例についての検証と提言が行われ、HPでも公表されています。 http://www.jtu.or.jp/news/2015/pdf/jtuforum_medical_20150727.pdf
それでも今年に入って6件と異常な数の死亡事故が起こっており今、緊急の対策を立てなければいけない時期になっています。JTUとして纏まったレポートを出すのは各加盟団体に事故のアンケート調査を依頼し、その結果を取りまとめてという手順を踏んでいくとまだまだ先のことになりますので、取りあえず私の私見ですが、原因と対策についてのまとめを出しておきたいと思います。 日本のトライアスロンの歴史の中で30件以上の死亡事故が起こり、そのほとんどはスイム中の事故です。今回はスイムでの事故に限って述べたいと思います。 スイム中に起こる事故の原因として今までのところ考えられる全てを挙げますと、 1.荒天 2.低水温 3.サメなどの有害生物 4.クラゲなどによるアナフィラキシーショック 5.スタート時やコーナーでのバトル 6.体力消耗、体力不足、体調不良 7.過呼吸 8.錐体内出血による急性平衡失調 9.海水誤嚥による急性肺水腫 10.内因性疾患の急性発症 などがあります。 まず、1.と2.ですが、日本でのトライアスロンの歴史を見ると、創設期はロングの大会で始まり、体力への挑戦、自然への挑戦と言う意味合いが強く、多少の荒天や低水温をものともせず、ウェットスーツもまだありませんでしたが、着ること自体軟弱だと考えられていました。しかし、初期に起こった宮古島の地方大会で台風が来ているにも関わらず湾内だから大丈夫と挙行された大会で選手1名と救助船の救助員1名が亡くなると言う事故が起こり、大会前の協議実施検討委員会が必須のものとなりました。その後、荒天時にはコース変更やスイムを中止して第一ランに振り替えたり、場合によっては大会そのものを中止にする場合も出て来ました。また6.とも関係しますが、ウェットスーツは安全面で必須アイテムと考えられるようになり、一般の大会では着用義務あるいは着用推奨の大会がほとんどとなりました。 3.は日本での大会中にはまだ報告がありませんが、アメリカではトライアスロン練習中にホオジロザメに襲われて死亡した例もありますし、昨年三河湾ではトライアスリートがサーフィン中にサメに襲われて何十針も縫うけがをしたこともあります。また伊良湖のトライアスロンが行われる前に漁師がサメに襲われて死亡する事件があり、ネットを張って行った時もありました。宮古島の前浜はサメの多い海域としても有名です。 4.はクラゲやおかしな生物が大発生することがあり問題となることがあります。この点もウェットスーツの着用によりかなり防げるようになりました。選手への事前アンケート調査項目にもアレルギー体質についての質問が入れられるようになりました。 5.スタート時のバトルは私も伊良湖で恐い目にあったことがあります。泳げないどころか息継ぎも出来ない状態になることがあります。伊豆大島の2回目の大会でしたか宮塚英也がスタート時のバトルでリタイアしたこともありました。その後、スタートラインを広く取る、第一コーナーまでの距離を長く取る、泳力順の並びをさせる、ウェーブスタートの採用などバトル解消の対策が取られ、現在ではどの大会でもそれほどひどいバトルはなくなってきています。 7.何らかの原因で呼吸を必要以上に行うことがきっかけとなり発症します。パニック障害などの患者に多くみられますが、運動直後や過度の不安や緊張などから引き起こされる場合もあります。過換気症候群は、呼気からの二酸化炭素の排出が必要量を超え動脈血の二酸化炭素濃度が減少して血液がアルカリ性に傾くため、息苦しさを覚えます。そのため、無意識に延髄が反射によって呼吸を停止させ、血液中の二酸化炭素を増加させようとします。しかし、大脳皮質は、呼吸ができなくなるのを異常と捉え、さらに呼吸させようとします。また、血管が収縮してしまい、軽度の場合は手足の痺れ、重度の場合は筋肉が硬直します。それらが悪循環になって発作がひどくなっていきます。ひどくなると、頭がボーっとしたり、まれに失神したりすることもあります。そうなると海水誤嚥から窒息を起こし死に至ります。意識して呼吸をゆっくりにして治ればよいですが、出来なければ、ブイにつかまり救助を要請しましょう。 8.は2002年に宮古島で起きた2件の死亡事故で2件とも突然円を描いて泳ぎだしたり、異常な方向への泳ぎが見られたことから私がその原因として発表したものです。1963年に東京都監察医務院の元院長の上野正彦先生が溺死者の解剖をするとその約半数に錐体内出血が見られ、それが泳げる人の溺死あるいは背の立つところでの溺死の原因ではないかと発表しています。バトルや波の影響で水が耳管に入ると、嚥下運動などでその水がピストン運動をして内耳の圧が急変動することにより内耳(錐体内)で毛細血管が破綻して出血し、その結果急性平衡失調が起こり、上下左右が判らなくなるのではないかと言われています。それ以後、スイム監視員は泳ぐ方向がおかしい選手に気を付けるようにと言われるようになりました。 9.は最近私が注目している原因で、バトルや波などで海水を誤嚥してしまった後に起こる変化です。海水は体液の10倍ほどの塩分濃度があり浸透圧が高いために肺胞に入った海水が体液の水を吸って急激に膨張します。1ccの海水が体液の濃度と同じになるために約10ccに膨張すると考えられます。誤嚥した量にもより、その発現速度は違って来ますが、スイム中に急速に進行する場合もバイク・ランに移ってからだんだん進行する場合もあります。重要なことは進行とともに血液の酸素飽和度が下がってきて、そのうちに意識障害が出てくることです。スイム中だと意識障害→海水誤嚥→窒息→脳死→心停止にいたります。本人は意識障害が出るまでその重大性に気が付かない可能性があり、たとえ医師でも判断を誤るかも知れません。もし海水を誤嚥したら、出来るだけ咳をして海水を出すこと、競技を中止して救助を要請すること、スイム監視員は咳をしている競技者を見つけたら眼を離さないこと、もし意識を失う兆候があれば即救助して、岸まで連れて行く前に呼気吹き込みなどの強制換気を始めることが必要です。 10.はいろいろな外因を除いて最後に残るであろう原因ですが、心筋梗塞や不整脈などの心疾患、大動脈瘤破裂などの大血管疾患、脳卒中などの脳血管疾患などが原因となりますが、トライアスロンで特に頻度が高いものとは思われません。しかし、スイム中に起こった場合にはその時点では呼吸をしていますので、意識消失が起こると、海水誤嚥→窒息→脳死→心停止に至ります。陸上ならば救命可能な発作でもスイム中であるが故に致命的となります。死亡事故が起こると当然警察による検視が行われますが、東京都23区を除き、日本では死因究明のために解剖までされることはありませんので、原因が内因性疾患であっても最終的に溺死とされる場合もあります。今までに大会中の死亡事故で解剖をされたケースは宮古島の1件だけでこの場合は溺死でした。 いったん事故が起こると、管理責任を問われて遺族から提訴され、その後の大会開催そのものが出来なくなることがあります。串本での事故の後、和歌山県では10年以上にわたり大会開催が出来ませんでした。 以上、これまでの事例から起こりうるスイム中の事故原因を挙げ、その対策について言及しました。トライアスロンに参加される選手の皆さん、自分の身を自分で守るために、また大会主催者の方は起こりうる事故を未然に防ぐようにしっかりとした運営体制を築いて下さることを祈念します。 トライアスロンが初めて日本に入って来たのは、1981年鳥取県の皆生温泉です。皆生温泉の旅館組合の方たちがハワイに旅行していた時に、丁度アイアンマンレースが行われていて、それを見た旅館組合の方たちが地元でもこれをすることが出来ないだろうかと考えたのです。当時日本ではまだこのスポーツは知られておらず、競技団体も出来ていませんでした。当時、唯一そのスポーツに興味を持っていた熊本CTC(クレージー・トライアスロン・クラブ)のメンバーに相談を持ち掛けて日本で初めての大会が行われたのです。アイアンマンレースを目標に行われたため、スイム3km、自転車140km、ラン42.195kmというロングの大会が始まりでした。 1985年頃に愛知県でも競技団体設立の機運が高まり、発起人の一人となって愛知県トライアスロン協会が設立されました。その後全国にその動きが拡がり日本トライアスロン協会が設立されましたが、もうひとつ商業ベースで長嶋茂雄会長を擁する日本トライアスロン連盟も出来て、各地に51.5kmのトライアスロン大会が出来て来ました。そして世界選手権が開催されるようになって、最初は協会と連盟が協議(日本トライアスロン委員会)して代表を決めていましたが、統一組織を作る必要が生じてきたために、何度も協議を繰り返し日本トライアスロン連合(JTU)と言う統一組織になりました。その間に競技スポーツとして51.5kmのトライアスロンが確立されて、2000年のシドニーからオリンピック種目となり、体協にも正式競技団体として加盟し、国体の正式種目にもなろうとしています。 私は愛知県トライアスロン協会副理事長から理事長、副会長となり、日本トライアスロン協会理事、日本トライアスロン連合理事を歴任し、JTUではメディカル委員長も4年ほど務めさせていただきました。(2015年7月30日、ドクターTこと竹内元一)
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