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私が幻の蝶と言っているのはヒサマツミドリシジミです。2~3回この蝶について書いてみたいと思います。
東海中学2年生(霧ヶ峰にて) posted by (C)ドクターT
小学校~中学校にかけて昆虫少年だった私は、高校時代は受験勉強、陸上競技、囲碁に夢中となり、しばらく昆虫からは遠ざかっていました。東海高校で物理と国語は実力テストで1,2番を争い、愛知陸上では800m、2分15秒9、6位、豊橋ロードレース(10km)41分30秒、囲碁は東海に囲碁同好会を作り第3回高校選手権に出場(2回戦敗退)、と言ったところが高校時代の記録です。
竹内 均の地球物理学にあこがれていた私は、東大受験に失敗して1浪し、京都大学理学部に入学します。ところが、大学紛争の真っただ中で、教養部は学生で封鎖され半年間正規の授業はありませんでした。そこで、囲碁部の門を叩き、囲碁三昧の生活を送ることになるのですが、ここで4回生に蝶屋さんが二人もいて(以前紹介しましたが、今年医王山で劇的再会をした滝さんと大木さんです)、また昆虫少年の心に火がつきました。
滝先輩から京都の杉峠でヒサマツミドリシジミが採れると言う情報を聞いた私は、1回生から6月になると杉峠通いを始めました。その当時ヒサマツミドリシジミは日本の蝶の中の最稀種で、その生活史も明らかではなく、幻の蝶と呼ばれていました。ゴイシツバメシジミもヒメチャマダラセセリも発見される(1973年)前で、1970年に京都で第25回鱗翅学会が開かれた時に、丁度三重県上石津村でヒサマツの卵が見つかり、飼育に成功したとの発表があり、聞きに行きました。その年、鱗翅学会第4代会長に就いたのが、蝶屋のバイブルとなる日本産蝶類標準図鑑の著者である故白水 隆九大名誉教授です。
貴船、鞍馬を経て、花背、洛北へ抜ける道は日に何本か定期バスが通っていましたが、6月のシーズンになると朝一番のバスには長尺の網を持ったマニアでいっぱいでした。そして、花背峠のバス停で降りてそこから尾根伝いに杉峠に向かいます。少しでもよいポイントをと速足で歩いたものです。その当時は生活史がはっきりしませんでしたから峠にテリ張りに来る♂を狙うしかなかった訳です。尾根道のやや開けた場所にいろいろなゼフィルスが飛んできてテリ張りをします。エゾやジョウザンが多かったような気がしますが、時々ヒサマツが混じります。(30頭に1頭くらいでしょうか)日が落ちるまで粘って、帰りの終バスで帰る時に、情報交換をします。30人くらいのマニアの中でヒサマツを採集出来る幸運にあづかる人は一人いるかいないかというのが普通でした。
2年目からは少しでも早くポイントに着くために原付バイクを買って通い、時にはテントを持って行き、ポイント近くで泊まった時もありました。梅雨時ですので、天気の悪い日も多く、それでも曇りくらいだと出かけたものです。
幸運は3年目のシーズン(1971年)に初めて訪れました。日が少し傾いて今日も駄目か、そろそろ帰ろうかと思った瞬間に明らかに他のゼフィルスと違う輝き方をする2頭が卍巴をしています。渾身の一撃でネットインして、その2頭のV字を確認してヒサマツだと判るまでは心臓が飛び出しそうでした。こんなに興奮したことは人生、後にも先にもありませんでした。その標本は今でも燦然と輝いています。
ヒサマツミドリシジミ♂(1971.7.5京都杉峠) (2) posted by (C)ドクターT ヒサマツミドリシジミ♂(1971.7 .5,杉峠) posted by (C)ドクターT ヒサマツミドリシジミ♂(1971.7 .5,杉峠) posted by (C)ドクターT
7年前に久し振り(37年振り)に昔通った杉峠を訪れて見ました。随分変わってしまっていて、昔の面影はありませんでした。看板でここがそうかと判るだけです。もちろん蝶屋の姿もありません。時々ハイキングをしている人たちとすれ違います。今ではここへヒサマツの採集に来る人はいないのでしょう。
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