今日は、私の棋歴について書きましょう。私が碁を覚えたのは中学1年の時、近くのガキ大将からでした。父がアマチュアの三段くらいは打つことは知っていましたが、きっかけは友達からでした。三級くらいになった頃に、本宅(二代目安藤梅吉宅)に週に1回プロが教えに来るので、この辺りの強い人が集まっていることが分かり、そこに出入りするようになりました。先生は、西条雅孝先生で、名大を中退してプロになり初段になった頃でした。たまたま西条先生と学校帰り、バスが一緒になり、「プロ棋士には夏休みはありますか」 などと馬鹿な質問をしたことを覚えています。
その頃から親父も相手をしてくれるようになりましたが、置き石が多いと無理な形を覚えるといけないと言って、4子以上は置かせてもらえませんでした。当然連戦連敗でしたが、中学3年くらいになって初めて勝てた時にはとても嬉しかった覚えがあります。高校に入る頃には初段くらいにはなっていたと思います。
東海高校囲碁同好会 posted by (C)ドクターT
東海高校には囲碁同好会はありませんでしたが、私が高校2年の時に、数学の堀先生に頼んで顧問になってもらい、囲碁同好会を作りました。
そして高校3年の時に同級生の福島君と1年下の青木君の3人で第3回高校囲碁選手権に出場しました。
1回戦の対戦相手は早稲田大学高等学院高等学校でしたが、副将、三将で1勝1敗となり、主将の私が勝負となりました。当時対局時計はまだ使ってなかったので、時の本因坊名人坂田栄男審判長が来て、私が判定勝ちとなり2回戦に進みました。でも2回戦ではあっさり負けてしまいました。
囲碁同好会には1年下で後に大数学者となる森重文君も入りましたが、囲碁はからっきし弱くていつも星目置かせて打っていました。その森君と受験の時に同じ旅館に泊まり、同じ理学部を受けることが分かりました。二人とも無事合格しましたが、学園紛争で教養部が封鎖されていて正規の授業が半年も開かれず、私は囲碁部の門を叩いて毎日囲碁三昧の生活を送ります。半年ほどであっと言う間に五段くらいの力がついたと思います。毎週吉田塾(日本棋院京都総本部)でOB会があり、当時三段だった坂口プロが教えに来てくれました。吉田塾は京大を中退してプロになった藤田悟郎先生の開いた囲碁道場で、本因坊になった林海峰も若い頃修行していたところで、京大囲碁部のOBのえらい先生方が来て相手をしてくれました。その中には京大の第一期黄金時代を作る近松先輩、西村先輩などもいて、また貝塚茂樹、高坂正堯といった大学者も見えました。
当時の現役は主将が田保栄三さん、副将が蝶の先輩でもある大木幹夫さん、三将が青木英明さん、四将が大西恒二さんでした。私は1回生でレギュラーに抜擢されて、稗田君と交代で五将で出ることになりました。関西リーグは3部までありましたが、京大は1部のトップを走っていて、その年全国大会へ行き、準優勝しました。
学生十傑戦9位、愛知県十傑戦7位 posted by (C)ドクターT
3回生の時に、学生十傑戦が京都で行われて、それに出て9位になりました。十傑戦はベスト16で負けても順位戦があり、残りを全部勝つと9位に入れるのです。その時に負けた相手が法政大学の中園清三選手で、優勝しましたので、山がよければ準優勝になっていたかも知れません。
京大時代はともかく囲碁ばかりで勉強はしませんでした。会社で囲碁を教えるバイトもしましたし、関西棋院の機関紙の校正の仕事などもしていました。3回生の時に学生免状で飛びつき4段が取れるというので、1000円くらいで取りました。 3回生の終わりごろに女房と会って(再会して)結婚するのにこれでは生活出来ないなと思い、名大医学部を受け直しました。
名大に入って、心を入れ替えて医学の勉強に励みましたが、日本棋院の中部総本部で西条先生が指導に来てくれる愛石会というのがあって月に1回通いました。4段は学生免状で取りましたが、5段は5段戦に出て取りました。 6段も6段戦で取りました。
祝五段 posted by (C)ドクターT
5段になった時にみんなが色紙に書いてくれましたが、当時知多市の辺りで打っていた人たちの名前が多数見えます。私の従兄になりますが、二代目安藤梅吉の名前も見えます。
日本棋院知多支部結成囲碁大会A組優勝 posted by (C)ドクターT
この頃は地元の大会は自己申告で段級を申告して出て、ハンデ戦となります。免状があると偽って出ることも出来ないのですが、 6段で出てもたいてい優勝していました。
アマの碁 (2) posted by (C)ドクターT
その頃、東軍と西軍に分かれてアマ東西対抗戦が行われるようになり、棋譜は「アマの碁」としてまとめられました。私は西軍代表で通算9回出させていただき、5勝4敗でした。
三面打ち posted by (C)ドクターT
これは市民病院の催しで3面打ちの指導碁をしているところです。bokeabさんもいます。
父からの贈り物 (1) posted by (C)ドクターT
結婚する時に父からいつも使っていた本栢の板目盤(3寸5分)をもらいました。
対安藤源三(2子)局(1983年11月3日、於竹内邸、黒7目勝ち) posted by (C)ドクターT
父には随分打ってもらいましたが、最後は私が2子置かせるようになりました。父が93歳で亡くなる2年前に打った最後の棋譜しか残っていませんがこれがそうです。黒24の切りが無理筋で、上辺、こんなに這ってはもらったと思いましたが、油断したのか左辺118のコスミツケで白窮しました。結局父の7目勝ちとなりました。
最近は囲碁から遠ざかっていますが、機会があればもう一度とは思っています。