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ガマの絵 posted by (C)ドクターT
いつものように朝練で蒲郡緑地の周りのジョギングコース(1周1km)を走っている時でした。小さな犬が3匹南側の野球場があるところにさしかかる手前でついて来ました。生後1~2か月くらいの雑種でした。段ボールが近くに置いてありましたので、飼い犬の子供を誰かが捨てて行ったようです。2~3周する間、近くを通るとく~ん、く~んとついて来ます。家には、その時ピッピとその子供のコイとウスと言う雑種の雌犬ばかり3匹もいましたので、連れて帰るとまた女房に怒られると思い、身を断ち切る思いで、そのまま置いて仕事に行きました。でもその日は捨て犬のことが頭にあって、どうも仕事にも身が入りませんでした。 仕事が終わると急いでまた緑地公園に足が向かいました。3匹いた犬が2匹になっていました。誰か1匹拾ってくれたのでしょうか。残された2匹は何も食べていないようで、ますます悲しそうに鳴きます。明日まで放っておいては死んでしまうかも知れません。え~い、ままよと2匹を車に乗せて官舎に連れて帰りました。白い雄犬と黒い雌犬でした。すぐに病院の看護婦さんに里親になってくれる人はいないか聞いて回りました。白い雄犬の方はもらってくれる看護婦さんが見つかりました。でも黒い雌犬の方は貰い手がなく、仕方なく家に連れて行くことにしました。当然女房には叱られました。でも動物嫌いではありませんので、そのうち諦めて飼うことを許してくれました。 拾って来た犬は安易な名前の付け方ですが、蒲郡で拾って来たのでガマとなりました。雌犬でこの辺りでは野良犬もいますので、また子供を産むと困るので、先にいた3匹の雌犬と同じように避妊手術をして飼うことにしました。ガマは先にいた3匹に気を使って、あるいは拾われて来た自分の立場をわきまえているのか、いつも遠慮がちでした。餌をやっても先輩たちの食べ終わるのを待ってから食事をしていました。4匹の犬は外で飼い、時々散歩にも連れて行きましたが、4匹とも元気な時は女房も引っ張られて大変でした。 ピッピが死に、コイとウスも順番に死に、最後にガマが残りました。ようやく先輩に遠慮せずにいられるようになりましたが、その頃には10歳を超えて随分年寄り犬になっていました。今まで卑屈な生き方をしてきたせいか、1匹になっても何か遠慮がちでした。その頃、娘の彼氏が家によく遊びに来ていましたが、ガマのことをよく可愛がってくれましたので、彼には気を許していたようです。写真のガマの絵は、東京芸大のデザイン科の彼が描いたもので、よく特徴が出ています。拾って来た私は、単身赴任で月に1回家に帰るくらいでしたので、帰ると尻尾を振って喜んではくれますが、何かよそよそしい感じでした。 だんだん年を取って、よたよた、プルプル歩きになって来たので、散歩もヒモをつけずに、夜もつながずに置くことが多くなって来ました。犬の世話は女房一人の仕事でした。大お祖母さん、お祖父さんが亡くなり、お祖母さんがいましたが、動物嫌いで犬の世話はしてくれません。女房には懐いていて、前の畑で草取りなどしているとそばにじっと座っていました。ある時、女房がうっかり「お前がいるから旅行になかなか出られないんだよ。」とガマの前で口を滑らせてしまいました。その次の日です、ガマがいなくなったのは。もう足が弱っていましたからそんなに遠くへ行けるはずがないのですが、庭や裏山、近くにあるミカン畑などガマが行きそうなところはすべて探しましたが見つかりませんでした。 女房も余分なことを言ったことを後悔しました。遠慮に遠慮を重ねたガマの一生でした。この話を一番聞いて欲しいのは最初にガマ達を捨てた飼い主です。
この話も、星空文庫「レクイエム」で公開中です。
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