日本でのアイアンマン 1978年、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km(フルマラソン)と言う距離で始まったハワイのトライアスロンはアイアンマンレースと呼ばれるようになり、その後アイアンマン世界選手権(Ironman World Championship)に発展し、その予選会が世界各地で行われるようになりました。この距離で行われるトライアスロンのことをフルトライアスロンあるいはアイアンマン・ディスタンスと呼び、その半分の距離で行われるトライアスロンをハーフ・アイアンマンと呼びます。日本でも1985年からアイアンマン・ジャパン in 琵琶湖として始まります。しかしこの大会も2市11町と言う広域に及ぶこと、一部国道を使用せざるを得ないなどの問題で、1997年第13回を持って継続開催が出来なくなりました。その後しばらく空白期間が続きますが、2001年に五島長崎の福江島で五島長崎国際トライアスロン大会として復活します。口蹄疫が流行った時に中止となった年もありますが、日本で唯一のアイアンマン世界選手権の予選会として、現在まで続いています。距離はアイアンマン・ディスタンスですが、アイアンマンは商標登録されていて、権利を買わないと使うことは出来ませんので、アイアンマンと言う名称は使われていません。北海道の洞爺湖周辺で2013年~2015年までアイアンマン・ディスタンスでアイアンマン・ジャパン北海道が行われましたが、3年で中止されました。宮古島はスイム3km、バイク136km→157km、ラン42.195kmで行われており、ストロングマン・レースと言う名称を使っています。一番古い皆生大会はスイム3km、バイク140km、ラン42.195kmでこれもアイアンマンより少し短い距離で行われています。佐渡ではロング・ディスタンスの日本選手権を行っており、最初はアイアンマンより短い距離でしたが、今はAタイプはスイム4km、バイク190km、ラン42.2kmとアイアンマンよりも長い距離で行われています。以上が日本におけるロングディスタンスの大会ですが、アイアンマン・ディスタンスの半分の距離で行われるアイアンマン70.3(70.3はマイル表示で距離はハーフアイアンマンとも言います)が愛知県の知多半島で2010年から始まりました。これは日本でアイアンマンを開く権利を買った白戸太郎代表取締役率いる(株)アスロニアが企画したもので、第1回はセントレア中部国際空港のある空港島にゴールを設定するために空港へ入る唯一の高速有料道路を1車線仕切って借りるという荒業をやってのけ、そのために1千万くらいの費用がかかったと聞いています。その時のレースディレクターは故水畑宏之氏で、私も医療班で駆り出されました。流石に第2回からはコース変更されましたが、知多市新舞子の海で泳ぎ、知多半島の広い範囲を走り回る大会は人気となり、現在でもアイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンとして続いています。私も一度だけ選手で出ましたが、ランで時間切れとなっていて、そのうちにリベンジしたいと思っています。白戸太郎氏は白戸家の犬として有名ですが、もとは一流トライアスリートとして活躍した白戸3兄弟の長兄で、その後トライアスロン大会企画をする(株)アスロニアを起業しました。昨年、東京都議会議員に小池派から出馬して当選しました。