ネオシステム
トライアスロンが日本に入って来て、大会で記録を取るのが大変になって来ました。マラソンは1種目だけですから、手動計時でもそれほど大変ではありませんが、トライアスロンとなると3種目あり、さらにトランジションもあって、それぞれのパート毎の記録を取りしかもゴールすると合計タイムを計算して順位までつけるとなるとパソコン処理が必須です。私はその当時まだノートパソコンもなかったので、デスクトップを持ち出して、データベースIIIplus と言うソフトをコンパイルして、記録を取るシステムを作りました。それを蒲郡の記録会からオレンジトライアスロンを通じて少しずつ改善していったのですが、最初は記録を取る地点を通過するときにレースナンバーを入力すると、その時の時刻がそのレースナンバーの選手の通過時刻として記録されるシステムでした。しかし、参加人数が増えて来ると数人一緒に通過して、レースナンバーの入力が間に合わないという事態が発生するようになり、通過タイミングだけをリターンキーで入力し、レースナンバーは人海戦術で記録し後で照合してレースナンバーを入力するシステムに変更しました。その時に思ったことは、バーコード入力あるいは無線チップ入力に将来変わるであろうと言うことでした。第3回くらいまでは私の作ったシステムで記録を取っていましたが、毎回終わってからの記録整理が大変な作業で、手伝ってくれた鈴木由昭先生と夜遅くまでかかって整理していました。ある時など私が選手で出ていて、途中でバグがあって、記録が取れない事態が発生したことがありました。その時には豊橋のビデオ製作会社、パルメックがゴールのビデオを時計とともに映していたので、それを借りて後で記録を作るという荒業を使ったこともありました。日本トライアスロン協会が出来た頃に私も理事として大会運営に参加したことがありますが、伊豆大島の大会では確か河合理事がエクセルをコンパイルしたソフトを使って記録を取っていました。最初におおがかりな記録を取るシステムを作ったのはランナーズ社が RUNTES と言うシステムを作りましたが、記録を取るのに選手一人当たり1,500円くらいかかりました。このころ連盟が行っていた51.5kmのシリーズ戦では確か RUNTES を利用していたと思います。比較的値打ちに記録を取るシステムを作ってくれたのは清本氏が始めたネオシステムでした。蒲郡オレンジトライアスロンも途中からネオシステムに委託することになり、私の負担は少なくなりました。清本氏は小柄で、いつも記録を取るところしか見ていなかったので、まさかトライアスリートだとは思っていなかったのですが、ある時宮古島の大会に出ていてしかも好記録でゴールしていたので驚きました。
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最終更新日
2018年04月05日 05時00分12秒
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