子供をトライアスリートに育てる
私には4人の子供がいます。長男鉄平、長女さくら、次男純平、三男勝平です。みんな私がトライアスロンにのめり込んだ時に出来た子供ですから、子供たちにもトライアスロンはして欲しいと思うのは親の独りよがりでしょうか?私がしたことは取り合えず、水泳は小さい時に覚えなければ駄目だと思いましたから、3歳になると4人ともスイミングスクールに通わせました。最初のうちは近くになくて、名古屋を超えて岩倉にあった名鉄のスイミングに入れて毎週1回通わせました。初めのうちは嫌がって泣いたりしていましたが、2~3回目には慣れて進んで通うようになりました。その後神宮前、知多と徐々に近くに出来たスイミングに変わりました。後は、強制することはなく、私のトライアスロンに連れて行ったり、子供の出られる大会を探して嬬恋や花巻まで連れて行きました。私が1985年第1回の宮古島トライアスロンに出た時には4人とも連れて行きましたが、鉄平8歳、さくら7歳、純平4歳、勝平1歳でした。中学、高校は全員水泳部に入り、知多中学の校内マラソンでは鉄平は学年で1位、さくらも女子1位、純平1位、勝平2 位でしたから足もまずまず速い方でした。勝平などは学年2位でも竹内家の面汚しと虐められていました。鉄平は南山大学の時に水泳部から新しく出来たトライアスロン部に移り本格的にトライアスロンを始めました。さくらは邦楽(長唄)の道に進みスポーツから遠ざかりましたが、純平は医学部に入り医学部水泳部で東医体の記録をほとんど塗り替える活躍をしましたが、トライアスロンは趣味で続ける程度になりました。鉄平は勝負根性がありましたが、純平は人がよいので、人と争う勝負根性に乏しく、トライアスロンの才能は鉄平よりあると思うのですが、大会に出るとなかなか活躍出来ません。勝平はゲーム好きで、水泳は続けていましたが、無難に教職の道を選びました。4人とも大学以降の進路については強制することなく、好きなことをやらせた結果がそうなったと言うことです。結局トライアスロンの道を選んだのは長男鉄平だけでしたが、卒業する時にアラコから会社にトライアスロン競技部を創るから来ないかと酒井吉信部長(当時愛知県トライアスロン協会副理事長)からお誘いがあり、渡りに船と入社します。そこそこの成績を上げて、JTUの強化指定をもらって、オリンピック目指して頑張りましたが、結局日本選手権2位、日本ロングディスタンス選手権優勝が最高の成績で、オリンピック出場は適いませんでした。会社からも戦力外通告を受けて、優遇措置はなくなりますが、そのまま会社に残って働くか、それとも地元(知多市)へ戻って来て転職するか黙って見ていましたが、何と会社を辞めてトライアスロンを続ける茨の道を選びました。三好スイミングを借りて、あすたまトライアスロンスクールを始め、あちらこちらで練習会を企画したりしていましたが、さらに(株)トライアーティストを創り、マラソン、トレイルラン、ミニトライアスロン、ロゲイニングなどの大会企画運営、さらにはウェットスーツ、水陸両用と鏡花水月を作って販売を始めました。愛知県トライアスロン協会にも理事として入り、協会のバックアップを受けて、2013年伊勢志摩里海トライアスロンを立ち上げます。この企画運営には水畑宏之氏や鈴木貴里代氏の影響も随分あると思いますが、2017年にはトライアスロンルミナの51.5kmのトライアスロンの部で人気ナンバー1大会となりました。しかし、実際には自転車操業のようで、補助金が降りてくるまでに家に借金に来るのはいつものことです。いつまで続くかは判りませんが、鉄平はトライアスロンに関しては私に似てマルチタレントですので、心配はしていません。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る