12gatu26niti
昨日の夜8時、母親から電話があった。「おばあちゃんが死んだ」という連絡であった。俺は残業中。8時に終わる予定だったので、多少仕事が残っていただろうが、切り上げて家に帰った。どういう感情だったかといえば、「死んだ」ということぐらいだった。ながく寝たっきりだったし、もう長くはないとわかっていたから。家に帰ると知らないおじいさんがいた。今でもおばあちゃんとの関係はわからない。親父はおじさんといっていたが、誰だろうか?酒をのんで、喋っていた。適当に挨拶をして、メシをくった。王将の焼きそばとチャーハンと餃子。いつもより少し多めに食った。家族の中でまだ、おばあちゃんの顔を見てないのは俺と妹だったので、母親とともに葬儀屋に。大きなビルだった。大きなエレベーターがあった。五階へとすすむ。エレベーターをおり、廊下を進むとまた、知らないおばあちゃんがいた。俺のおばあちゃんの妹だそうだ。それは、1時間ほどたってから母親とそのおばあちゃんの会話から推測したまでで、その現時点ではわからなかった。挨拶だけをした。畳4畳ほどの部屋。そこに銀色のカバーをつけた布団が引いてあり、おばあちゃんが死んでいる。顔は布が被されていた。きれいな顔してる。母親はそういいながら布をめくった。たしかに、そうだった。安らかだ。死んでるときのほうが顔色がいいくらいだ。生きているときのほうが、しんどそうな顔していた。 たしかにそこに、おばあちゃんは死んでいた。人が死んだからといって、そこに淋しい、悲しいが渦巻いているわけではない。俺の両親は、これからの葬儀のことが頭から外れないだろうし。親族は俺が知らない人がこんなにいるってことは、めったにおばあちゃんにはあっていないだろう。だから、多少俺たち家族に心が引けるとこもあるだろう。まあそんなことはどうでもいい。別におれだってなんもしてないんだから。こっちだって引け目はある。ただ長く居ただけ。「死」とはなんだろう。俺がいま「死」を宣告されれば、絶望のふちへと落とされるだろうが人の「死」というのはまた違ったものか。感じる事は、寝たっきりのおばあちゃんが家にいたただそれだけで確かに家には「死」が存在していた。だから、すべてが予定調和のように進んで行った。生きたものが死ぬ。弱く細りかけて行くおばあちゃんをみる。「死」とはまたべつに「生きる」こともまたかんがえる。いつまで生きるのか。年月、日にちといった「いつ」ではなく、人生、体、精神といった「生」を充実しての「いつ」。軽薄ながら、母親が長生きせなな、とか病院でやせ細るおばあちゃんに点滴をうち、チューブがつながれる、様をみて「もう死ねばいい」と思ったこともある。で、おばあちゃんは昨日死んだ。終わった。ただそれだけ。でも、おばあちゃんの話を聞くたびに思う。俺とよく似てる。愛情表現が苦手なんだな。孫なんだよ俺は。終わったんだけど、続いていく。蚊取り線香のように螺旋を描き、燃えた部分の灰が落ちた。