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男の腕に ROLEX パールマスター 39 86348SABLV >>その一 から読む 脱羽機から取り出した首のない裸のトリを一列に吊るす。 その光景はまるで物干し竿に吊るした、白い股引みたいだ。 そこから機械で取り除けなかった毛根や羽毛を手作業で取り除く(こればかりはチェーンが健在だった頃も手作業だった)。 そして重さを量ってメモにとる。 集中力の必要な作業だが、その間にもトリを吊るして首を斬り落とし、放血させて湯に浸けて、という作業は並行して行わなければならない。 なにせ時間は限られている。 そんなふうにケースの中でコケコケ啼いている生きたトリたちをすべて、午前一〇時までに無個性な肉の塊と三桁ほどの数字とに変えていくのが最初の工程だ。 かつて僕がまだ新人だった頃、工場長は若い女性で、彼女は僕にこう言った。 「食べるということは、他の生き物の命をいただくということ。 どれほど大きな犠牲の上に私たちが生かされているか、この仕事をとおして、肌身に感じてほしいと思っています」 だが、実際には、そんな尊い犠牲に思いを馳せることができたのは、せいぜい最初の二日か三日くらいだった。 日を追うごとに個々の命を永遠に奪っていくという意味自体が、だんだん希薄になっていき、家電製品を組み立てていく作業と変わらない感覚に陥っていくことのほうを、僕はひしひしと肌身に感じた。 そして命の意味の代わりに、効率と数値とが、口うるさく僕に要求しはじめた。 とはいえ、殺すことに無感覚になっていく自分の心に、僕自身恐怖をおぼえることがある。 そのたびに僕は初心に返って、生き物を殺すことの意味に踏み止まろうと意識した。 たとえば今日ここまでで、苦しんで死んでいったトリのうち最初の一羽が、結局湯浸けが過度になり、食肉には適さなくなったほか、別の二羽もなぜか放血がうまくいかず、結局この三羽は廃棄しなければいけなくなったが、こういう三羽の死をどう捉えればいいかという問題に立ち止まって、考えたりした。 ただ時間は待ってくれないので、死について、屠殺することについて、殺しながら考えなければならなかった。 それは生きる意味について生きながら考えることとは、似ているようでまったく違う。 トリに聞いたわけではないけれど、トリだって絶対死にたくないに決まっているのだ。 そんなことを考えながら生きたトリを吊るしていると、突然電話が鳴った。 僕は携帯電話を持っていないから、鳴ったのは工場の電話だ。 時計を見る。午前八時三〇分。 工場長が出社する時刻だ。 湯浸けを同時進行していたので電話など無視である。電話はやがて切れた。 と、ふたたび電話が鳴り始めた。 湯からトリを取り出して、脱羽機に抛り込み、電話に駈け寄って受話器をとった。 「忙しいところを邪魔してすまないねえ、西田くん」 案の定、工場長の声だった。 「いやね、昨日ショートホールでグリーンを回ったんだがね、パー四でね。それが君、ティーショットで―」 「すみません工場長、忙しいので切ります」 受話器を置きかけたが、工場長はまだ何か喋っていた。 「電話をかけたのはほかでもない。今日九時から新入社員が入るんだよ。そう、工場だ。ずっと増員を希望していただろ?」 「本当ですか?」 僕の声は上ずった。自分でもわかる。 「本当だよ。少し齢のいった女性だが、はきはきして、感じのいい人だ」 「ありがとうございます、工場長」 僕は僕とトリしかいない工場の中で、何度もお辞儀をした。 「だから今日は七〇羽にしたんだよ。ずっと君には一人作業を押し付けて、迷惑をかけたからね。この先も、どんどん工員を増やしていくつもりだよ」 受話器を置くと僕は跳び上がり、ガッツポーズをした。 人を増やしてくれと、どれだけ訴えてきたことだろう。たった一人増えただけではあるが、ようやく願いが叶ったのだ。 これで歯医者にも行ける、これで有給休暇もとれる、これで郵便局にも銀行にも行ける、喜びがふつふつと湧いてきた。 チェーンが故障していなかった頃、工場には二十人くらいの工員が毎日従事していた。 こんな小さな工場でも日に千羽、二千羽と処理し、出荷していた。 今はすっかり状況が変わってしまった。 道の駅の特産品コーナーと市内の一部のデパートの精肉店、そして契約を締結した老人ホームを除けば、出荷先の多くを大手食鳥工場にことごとく奪われた片田舎のこの小さな工場では、工員は検査員含めて四人。 うち一人は出社拒否(検査員なのでクビにはしないで、名前とハンコだけ使っている)、 二人は病休で、その内一人は入院している。 実質的な工員は、これまでずっとパートタイマーの僕一人だ。 故障したチェーンは修繕費用も捻出できないため、もはや電源を入れることもない。 十二年前に巨額を投じて設置されたこの超大型設備も、今ではただトリを吊るすための大げさな物干し竿でしかない。 僕は九時に現れるであろう新人を心待ちにしながら、讃美歌を口ずさみ、生きているトリの首を次々に斬り落とした。 また電話が鳴った。今度は工場長を待たせないよう急いで受話器をとった。 「おまえたちのやっていることは、動物虐殺だ!」 工場長ではなかった。ぜんぜん知らない男の声だった。 クリックをお願いします↑ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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