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男の腕に ROLEX パールマスター 39 86348SABLV >>その一 から読む 「あの、どちら様で――」 「命の叫ぶ声に、耳を傾けろ。 どんな命も一回きりということを、いったいおまえたちは考えたことがあるのか。 おまえたちは魂のあるものを、ただの肉と見做し、機械的に生き物を惨殺する。 神の罰が当たるぞ」 僕はため息をついた。 「わかりました。悔い改めます。それであなた様はどちら様でしょう?」 「わかっただと? それは工場をたたむということか?」 「どちら様ですか」 怒気をこめて三度目に訊ねると、相手は少し押し黙った後、 「地球生命体友愛協会の田中だ」 と名乗った。 いま咄嗟に思いついたのではないかと疑いたくなるような名称だ。 パートタイマーの西田ですと名乗ってから、時給八五〇円のパートタイマーに工場をたたむだの業種を変更するだのという権限はないことを説明した。 そのうえで、工場長に相談してみますとだけ答えて電話を切った。 それから事務所に電話を入れて、わけのわからん外線を工場に転送するなと事務員に怒鳴った。 九時少し前に、白髪頭の工場長が、白い衛生服に身を包んだ一人の婦人を伴って工場に現れた。 その婦人はなるほど僕より年上らしいが、聡明そうで、知的な眼差しが印象的だった。 僕の目にはその婦人の背中に後光が射して見えた。 婦人は中野あつ子と名乗り、これからよろしくお願いしますと礼儀正しく挨拶した。 僕も笑顔でお辞儀をした。 が、視線が合ったとたん、中野さんが喉の奥からヒッと悲鳴を上げた。 「ははは、西田くんの顔が血まみれだから、驚いたんだね。まあこういう仕事だから、すぐに慣れるよ」 工場長は暢気に笑ったが、僕はイヤな予感がした。 工場長が去ると、中野さんはちらりとプラスチックケースに視線をやり、困ったようにうつむいた。 顔が少し青ざめている。 「じゃ、じゃあ、仕事を説明しますね」 僕は、吊るしてあるトリの脚を金具から外し、工場での作業の流れを説明し、トリの持ち方、吊るし方、頸脈の斬り方を実演して見せた。 中野さんの顔はますます青ざめていった。 「やってみますか?」 ケースからトリを一羽取り出してさかさに吊るし、中野さんに刃物を渡した。 中野さんは困った表情で刃物をみつめ、それでも僕の指示にしたがってトリの首を反らせ、頸骨の下に刃物を滑らせた。 その途端、トリが暴れて、血が飛び散り、中野さんの頬を汚した。 この時の中野さんの悲鳴ほど大きな声を、この仕事をしていて僕は聞いたことがない。 僕はすぐに中野さんから刃物を取り上げて、悶え苦しんでいるトリの首を斬り落として絶命させた。 血が細い滝となって金属の溝に落ちて行く。 中野さんはしばらくその光景をみつめていたが、やがて一歩後ずさり、また一歩後ずさりして、壁際まで下がると、そこにしゃがみこんでしまった。 「すみません。ちょっと、その――」 中野さんは無理に笑おうとしたが、それは笑顔になる前に凍りついた。 それきり中野さんは両手で顔を覆い、しばらくは口もきかなかった。 僕は黙々とトリの喉を裂いて放血させ、湯に浸けた。 脱羽機のやかましい音が工場内に響いていた。 「毎日こんなことして平気なんですか」 振り返ると中野さんが顔を上げていた。 その口調には質問というより非難が込められていると感じられた。 「まあそうですね、これが仕事ですから」 「お仕事……。そうですね」 中野さんは、悲しげな表情で薄く笑った。 「きっとみなさん、そうおっしゃってたんでしょうね。アウシュビッツでもプノンペンでも、オキナワやソンミ村でも。これはお仕事だからと――」 「いったいなんの話をなさってるんです?」 僕は振り返った。中野さんは力なく立ち上がった。 「ちょっとお手洗いへ」 僕は工場から出て行く中野さんの背中を見送った。予感通り、中野さんはそれきり帰って来なかった。 クリックをお願いします↑ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.11.18 22:45:03
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