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obasanさんから、18日に掲載した石原吉郎の俳句について、コメントをいただいた。
それに対して、僕もお返事をしたのだけれど、 >石原吉郎さんはキリスト者なんですね。 という問いかけに対して、安易に「そうです」と答えていいものか、少しだけ迷った。 むろん、石原吉郎は日本基督教団の信徒であったし、信仰についてのエッセイもあるし、日本基督教団出版社から出した随筆集だってある。 にもかかわらず、「そうです」と即答できなかったのは、この詩人の信仰を疑っているからではない。 僕が疑うのは、むしろ「キリスト者」「クリスチャン」といった時に、詩人を知らない人が抱くであろう手垢のついたイメージのほうである。 石原吉郎という詩人について少しだけ言及すると、 1941年(昭和14年)に召集され、満州へ動員、1945年(昭和20年)、ソ連軍に抑留されシベリアへ送られた。その後、1953年に帰国するが、彼の詩作は主にこの極限の場に過ごした期間の記憶をおそるべき頭脳運動によって徹底的に分解、再結晶化させたものといえる。 そんな詩人のエッセイ「信仰とことば」には、次のような難解な一文がある。 信仰というものは、いわば挫折そのものである。信仰が背理だといわれるのは、そのためである。それとまったくおなじ次元で、ことばもまた、挫折そのものであると私は考える。 一読して「なるほど」と納得するキリスト者がどれだけいるだろう。また、別のエッセイ「聖書とことば」にはこんな一文もみられる。 帰国後しばしば私は、シベリアで信仰が救いになったかとたずねられた。実は、信仰というものがそのような、危機に即応するようなかたちで人間を救うものではないことを痛切に教えられた場所こそシベリアであったと、すくなくとも私にかぎっていえそうな気がする。 このような難解な精神性をもって信仰と向かい合っていた詩人を、僕ごときと同じレベルで「キリスト者」と一括りにしてしまう危うさに、どうしても躊躇してしまう。すくなくとも僕など「極限の場において、不用意に信仰にもたれ」ようとするタイプの単純かつ幼稚な信仰者には、こういう認識に立たされたら、救いなど見出すことができなくなってしまうだろう。 エッセイ「聖書とことば」を、詩人は次のように綴って筆を置く。 聖書とともに私が再会したことばは、その格調の高さによって、みだりに平安をねがうことをきびしくいましめることばでもあった。 私たちをつねに生き生きと不安にめざめさせることば。それが、私にとっての聖書のことばであった。 にほんブログ村 【PR】----------------------------------------------- 【送料無料】 聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き SIO43 / 日本聖書協会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.21 17:24:10
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