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カテゴリ:キリスト教
クリスチャンの間ではよく知られた詩である。
大事をなそうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、 慎み深く、従順であるようにと、弱さを授かった。 より偉大なことができるように、健康を求めたのに よりよきことができるようにと病弱を与えられた。 幸せになろうとして、富を求めたのに 賢明であるようにと、貧困を授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに 神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった。 人生を楽しもうとあらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるように、生命を授かった。 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聴き届けられた。 神の意にそわぬものであるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りも、すべて適えられた。 わたしはあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。 神は、わたしが必要とすることを一番よく知っておられる。 願わくは、神は賛美され、祝福されますように… (ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に刻まれている無名の兵士の作) 僕にはまだ、「求めたものは一つとして与えられなかったが/願いはすべて聴き届けられた」と断言できるこの兵士の位置に立つことができない。 求めたものが一つとして与えられない人生は、やはり見捨てられた敗北として映る。 それを恵みとして喜べる魂は、崇高だ。この境地に立つことができるなら、その人はまさしく霊と水とによって新たに生まれた人だ。 僕は、まだこの詩にうなずけない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.06.26 23:18:20
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