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最近、フェイスブックで中学、高校時代(6年間一貫)の友人がリコメンド機能で出てくるので見たくない中学・高校時代の人もちらほらと見えます。
それで封印されていたネガティブな思い出が噴き出てきます。 今の私からは想像がつかない人も多いと思いますが、中学時代から高校の2年までかなりの頻度でいじめを受けていました。 今、考えると受験勉強のためのような進学校なのでみんなエネルギーが鬱屈した結果、身体の小さい人や気の弱い、あまり刃向わない人にその矛先が向かったのだとわかりますが、やられた本人にしては理不尽な毎日です。 いじめは2つの側面があります。 一つは身体的な暴力やいたずらによる苦痛で、 そしてもう一つは様々な屈辱と周りからの疎外感による精神的ダメージです。 どちらもつらいのですが、特につらかったのが後者です。 なぜ自分がこのような仕打ちに合わなければならないのか?を自問自答していました。 でも実はそこにたいした理由はなかったのです。身体が小さく、からっきし勇気のない気の小さい奴なら誰でもよかったのです。 卒業した後に同じような目に遭っていた友人が多数いたことを知りました。私だけではなかったのです。 いじめに遭うと周りにいる人の心の中が透けて見えてきます。こいつと関わると自分もいじめられるから話したくないという人と、そんなことは関係ないと普通に接してくれる人がはっきりわかります。 人をどのように見抜くのか? 中学高校はこれを学んだ6年間でもあります。 そのいじめは高校二年生でなくなりました。 そのきっかけはいじめを受けたことをとうとう我慢できなくて、今まで最もいじめをしていた奴に死んでもいいから、どうしても一発は入れて死にたいと思いました。 それまではぼこぼこにされても挑戦し続けると心に決めました。その時は格闘技も知らないし、からっきし腕力もなかったのですが、とにかく覚悟を決めたのです。 そして、いつものようにいじめが始まった時に渾身の一撃を放ちました。 よけられて当たりませんでしたし、そのあとぼこぼこにされましたが、かすった瞬間、相手が恐怖の顔になるのが見えました。 多くの同級生がその瞬間を見ていました。 けんかには負けたけど勝負に勝ったと思いました。その日からいじめは一切なくなりました。 今でも思いますが、これは越えなければいけない試練の一つだったんだなと。 人の本性を理解し、自分をどのように進化させていくのか?身体で学んだ6年間だったように思います。 勉強はからっきしだめでしたが、それよりももっと重要なことを学んだと思っています。 ちなみにこれを教訓に大学時代では空手部に所属し、全国大会やハワイの国際大会で準優勝するまで成長しました。いじめがなければつらい練習も踏ん張れなかったと思います。 また、ビジネスにおいてもここ一番で引けないところで負けない精神力を身につけられたのもすべてそのお陰だと言えます。 ほんとフェイスブックは色々なことを与えてくれます。自分のトラウマの分析をするとは思いませんでした(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月06日 12時41分26秒
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