カテゴリ:講演会
日本で最初の「大学」である東京大学は、今年で創立130周年を迎えます。
その記念式典で、記念講演として、東大出身のノーベル賞授賞者である、 江崎玲於奈先生・大江健三郎先生・小柴昌俊先生がお話をされる、 ということで、行って参りました。 ----- 鼎談形式ではなく、司会の方がお題を振って、それぞれの先生が答える形式。 「私と東大」 「東大とのかかわりで良かった点」 「人生の困難にどう立ち向かったか」 「これからの東大へ」 なんてお題。 …うーん。まぁ、東大130周年記念講演ですからねぇ。 ----- しかし、さすがは、世界トップレベルの知性が並んだだけあって、 「東大」なんて、ちっぽけな枠には捉われない、自由なお話をお伺いすることが出来ました。 でもって、このお三方、講演慣れされているのでしょう、 三者三様に、お話が分かりやすくて、面白い。 その雰囲気の一端でも伝えられれば良いのですけど。 ===== 「私と東大」 で語られたのは、学生時代のエピソード、研究者としての歩みなど。 ---------- 江崎先生の若かりし頃のエピソードも、とても面白かったのですが… この話の結論として、江崎先生が強調されたのは、「サイエンスの心」ということでした。 「こころ」という日本語には、英語のmindやheartなど、様々な語義が入っているが、 「論理的思考力」「疑問を発して思考する」という「理性的なマインド」が、「サイエンスの心」。 宗教に「疑わずに信じよ」という部分があるのに対して、 科学は「疑問を発して思考せよ」なのだ、と。 ----- そして、「温故知新」だけでは、新しい発想が出て来ない。 科学は「未来を訪ねて、指針を得よ」というものなのだと、先生は続けます。 グラハム・ベルの肖像には、「森の中へ入れ」と書かれているそうです。 既にある「道」ではなく、誰も知らない真理の「森」の中へ、踏み入っていくこと。 それが、未来を訪ねることなのだ、と。 ---------- 意外と(?)面白かったのが、大江先生。 私は、学生時代に授業で、立花隆先生と大江先生の対談をお伺いした (だけでなく、そのテープ起こしやら注釈なんかを手伝った)ことがあるのですが、 その時は、失礼ながら、こんなに面白くなかったような…。 ----- 大江先生は、実は、この講演会の前日、『沖縄ノート』絡みの事件で、 「被告」として、出廷されていたのです。 冒頭から、「本日は緊張すると言っても、昨日、裁判所で話をした時よりも気は楽です。」 なんて笑いを誘って、 「被告控室で、時間が余っておりましたから、本日の原稿を書いていたのですが、 街宣車が五月蝿く、私の名前を呼んでおりまして…」 という掴み。 ----- 大江先生が12才の時、憲法・教育基本法が制定され、 その中で書かれた「普遍的で個性的な文化」という言葉が、 人間が人間らしく生きていく、その事を教えてくれた、と言います。 だからこそ、 「昨日、害宣車に「ここに教育基本法がなくなって泣いている大江がいます!」と言われましたが、 泣いてはおりません。泣くことはありませんが、怒っております。」 という言葉が出てくるのです。 穏やかで、静かな話しぶりに滲む、平静な怒りは、だからこそ、ストレートに胸に沁みました。 ---------- 小柴先生の、飄々とした語り口には、お人柄が顕れていて、とても温かい。 ご自身の学生時代の成績は悪かった、という話をまくらに、 ノーベル賞受賞される前年、理系の卒業生へ、 「人生の勝負は、卒業成績じゃないんだよ。」 という訓示を贈られた、という話をされました。 「学校の成績だけで、人間の能力が測れると思ったら間違いなんだ。 それは、受け身、受動的な認識能力であって、 社会に出れば、もっと、能動的な能力も必要とされる。 人間の能力は、この二つのかけ算で、どっちもなくてはいけないんだよ。」 ----- 小柴先生がすごいのは、このことを、お題目で唱えるのではなく、 学生の能力を引き出してあげるための、具体的な形にされていること。 ----- 一つは、夏休みに大学の機材を貸してあげるから、 自分で設定した研究をやってよいよ、という制度。 ただし、これは、点とか単位には関係ない、というのがミソ。 それでも、多くの学生が、目を輝かせて、夏休みを返上して、 自分の設定したテーマで研究を行っているそうです。 ----- そして、大学院では「点数」ではなく「やる気」を見るため、面接重視の入学制度に変更したこと。 それで採った人物(つまり、「点数」は悪かったけど、「やる気」で合格した人物)が、 今は特別栄誉教授になっている、というのが嬉しいことだ、と。 ----- 指導教官としての仕事は、それぞれの学生に 「自分がやりたい」と感じるテーマを見つけてやる事だ、と先生は言います。 「君は、つまり、こういう分野に興味を持っているのじゃないかね?」 「こういう研究をしてみたら、その疑問に答えが出せるんじゃないかな?」 ----- 小柴先生は、縁あって理学部物理学科に採用され、生徒を教えた経験が、 非常に生きている、と仰っていました。 残念ながら、先生の専門分野における業績について理解できる能力を、私は有していませんが、 それでも、教育者としての先生が素晴らしい、ということが、伝わってきました。 ===== 「東大とのかかわりで良かった点」では、どの先生も、 偉大で尊敬できる先生方からの、そして、友人達からの刺激を挙げられていました。 ----- 面白かったのは、江崎先生が戦中、禁止されていた『風と共に去りぬ』を観たお話。 当時、敵国映画として禁止されていたのですが、エ学部の友人の父がマニラで押収したものを、 友人達で集まって、大学内で上映会をしたのですが、前半の途中で、空襲警報のせいで中断し、 結局、全部を観ることが出来たのは戦後だったそうです。 また、湯川先生や友永先生の講義も受けられたそうで、いや、それは何だかすごい。 ----- 大江先生が、「立派な先生方に囲まれ、聞く力を身に付けられた」という言葉で、 「聞く力」に言及されていたのは印象的でした。 「聞く力」は、言い換えれば「謙虚さ」であり、自らを見つめる力でもあります。 少なくとも私の友人には、「謙虚さ」を身につけた人が多い。 自分の意見を通す強さと同時に、他人の異見を受け入れられる柔軟性を持っています。 翻って、お前自身は、と問われると、「そうありたい」と願ってはいますが…さてはて。 ===== 「人生の困難」について、 江崎先生は、初めての海外経験の時のお話を、 小柴先生は、カミオカンデの予算獲得と、アメリカとの競争での逆転劇のお話を それぞれ語って下さいました。 ----- 大江先生は「パス」。 司会者が何とかしようと話を振るのに、小柴先生が、「何?あんたパスなの?じゃぁ、ボクはね…」 と話を持っていたのが、機転が利いていて、面白くて、会場に和やかな空気が流れました。 ===== 「これからの東大に期待するもの」として、 江崎先生が、国際化の中で、世界に通用する論理的思考力を身に付けること、 一方で、研究成果に対して、公正で、納得のいく評価をしていくこと、を挙げられました。 ----- 小柴先生も、世界に対して大学を開くことが重要だ、として、 独立行政法人化を受けて、これまで法律上許されてなかった日本国籍以外の教授を迎えること、 そして、英語での授業を増やして、海外からの留学生も受けよいようにすること、 を具体的な施策として提言されていました。 ----- 大江先生は、あまりにも細分化・専門化が進んだ「知」の現状を踏まえて、 分野に分かれている学生が、知と知のつながりを深めていってほしい、 とのお話をされました。 ---------- 理系のお二人が「国際言語としての英語」に言及されたことに対して、 司会の方から、大江先生に対して、日本語の専門家としてどう思うか、という質問があり、 「私は、世界の全ての言語が普遍的であると思っています。 小説家は、それぞれの言語で、その言語を普遍的なものに磨いていくのです。」 と回答されていました。 国際語としての英語と、国語としての日本語。 どちらも大切で、必要なものです。 ===== 本当に、あっという間の1時間半。 安田講堂会場がいっぱいで、法学部25番教室からのモニター越だったのが残念ですが、 それでも、先生方のお話に惹き込まれました。 ----- これからも、日本の未来を担う知性が、お互いを刺激し合い、 世界に様々な形で貢献する人材となって巣立っていくことを、 期待しつつ、いや、信じて、この稿を閉じるとしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 14, 2007 11:00:53 AM
コメント(0) | コメントを書く
[講演会] カテゴリの最新記事
|
|