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カテゴリ:保障・福祉
以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。
平成14年の夏を過ぎた頃、平衡機能低下、右側のこわばりから病状は進行していました。労働は当然保険営業には支障をきたし、外回りが辛くなりました。雇用主との交渉も日を追う毎に増えて、進退を賭け最終調整に入りました。 1) 社会保険(傷病手当金)の適用を受ける 2) 業務協定を結び、引き続き保険部門の業務を引き継ぐ 3) 手数料(収入)はすべて折半、雇用費・経費は負担 雇用主は「1年毎の見直し」を付け加え雇用内容を見直しました。雇用6年の間に顧客は様変わりして、僕のキャリアも磨かれ、ある意味保険部門の支配下は僕に置かれ、会社は要望を飲まざるを得なかったと思います。 半年待たず、私は半分歩行困難になっていて、MSAと判った翌日(H14/10/2)に出社が出来ず長期療養に入りました。「言語障害」の症状は余り目立たず、顧客との応対は携帯電話で、情報の交流は自宅のパソコンで、あとは外商する身体があれば業務を引き継ぐことが可能でした。 新しい年になり、雇用主に正式に解雇を通告され決別しました。業務協定も反故にされ「障害者」として“生き抜く”道を歩み始めました。友人の紹介でMさんを紹介してもらい、同い歳もあってか直ぐ打ち解け、パートナーになって保険代理店業務を開始しました。自宅の一室を事務所に改造して「有限会社ふるらいふ」を興しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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