日本元気劇場へ その2
ずっと来たかったのよ。戦艦三笠が見たかったのよ。休日はきっと混むんだろうと思い、平日にやってきた。しかも雨が降ってきたのでほとんど人が居なかった。駐車場からすぐに入り口が有る。おお、ついに三笠の姿が。実寸大なのだそうだ。と言っても、本物があるわけもなく、残った写真など部分部分をつなぎあわせて、本物の尺を割り出し、再現したという努力の結晶だ。実際に乗り込んでみると、想像していたよりずっと小さかった。そりゃあそうだよね、そんなに大きかったら標的になりやすいし、重さで速度も遅くなっちゃうし、小回りも効かなくなるもんね。石川県出身の人達も沢山乗っていた。若くして亡くなったから、今、子孫はほとんど残ってないんだそうだ。「連合艦隊旗艦の三笠は、1904年(明治37年)2月6日から日露戦争に加わり、21日朝鮮半島の鎮海湾に進出した。以後同地を拠点に対馬海峡で訓練を行い、5月27日・28日には日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦した。この海戦で三笠は113名の死傷者を出した。日露戦争終結直後の1905年(明治38年)9月11日に、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没した。この事故では339名の死者を出した。」